Wednesday, February 16, 2011

第十四章 人類の転換点から読み取れることPart3 従業員全てにミクロ的視野しか与えぬ部分化する観光都市モデルのメタ名刹と管理支配への欲求

 京都は訪れる度に部分化された観光都市であるという印象を強くする。何故なら各名刹が犇き合っているが、個々の名刹は異なった宗派であり、相互不干渉を貫いてきたし、各時代毎の権力者の菩提寺があったりして、要するにそれらが相互不干渉主義的に共存しているからである。
 この点更に歴史を遡る奈良は少し違う雰囲気も漂わせている。土塀に隙間が空いていたりして、そこから隣の名刹へも行けるという形で風土的にも自然に全てが融合している。従って京都の風景は四角く視界的に切り取られたトリミングされた世界であり、風景であり、自然なのである。
 従ってある区域に犇き合う名刹の位置関係を把握しているのは、以前からその区域に住んできた人達だけである。観光所の人も超有名な名刹以外は地図を広げて調べる。
 又名刹に勤める従業員達も必ずしも京都出身者であるとは限らない。従ってキヨスクでもそうであるが、何か京都に関することを尋ねても、即座に返答が齎されることはない。「観光案内所で聞いて下さい」と言われるのがおちだ。
 しかしこの様な光景は京都の様な古都観光都市だけではなくなってきた。次第に日本中の全ての衛星指定都市がそうなっているのだ。
 かつてある会社の従業員はある地方の人達だけで、つまり自元で固められてきたけれど、今はそうではない。全ての地方の会社でも様々な地方から赴任してきた人達で構成されている。昭和三十年代迄なら、ある会社とか駅の売店のおばさん達は大体その会社や駅近辺の人が働いていた。しかし今は違う。その波は既に昭和四十年代から加速化されてきた。そして今では既にメガロポリス東京の雰囲気は多層化された都市構造となっていて、ある区域で就業する人達の大半は全く別の場所からそこに訪れている。都市自体に地域色とか地方色は急速に失われている(このことは宇野常寛も思想地図βで述べていることでもあるが、彼は郊外にそれを見ている)。
 日本中にあるキヨスクの従業員は恐らくそんなに遠くから勤めているわけではないだろうが、キヨスクから自宅までの点から点への経由する路線だけは把握していても、キヨスクを取り囲む、例えば東京の新宿区のあらましに就いては殆ど知らないということも稀ではない。第一キヨスクに勤務していたなら、駅構内のことくらいは分かっても、駅を一歩外に出た後の街のことまでは知らないということがあっても可笑しくはない。
 これは就業している職業行為習慣にも拠る。営業パーソンならかなり多くの区域を足で確めているだろうから、かなり道に関しては詳しいが、一箇所に留まって勤務する人達はそうではない。従って飲食店勤務者もそうである筈だ。
 就業時間を終えて尚同じ街で飲みに行くとは限らない。新宿から和光市まで帰宅するとしたら、途中の池袋で立ち寄るという習慣の従業員もいるだろうからだ。
 これは一重に交通機関の発達によって容易に隣接する都市から働きにこれるという事情にも拠る。つまり一箇所での労働力は多くの地域、地方から構成されるという現実を容易にした。しかもその上にネット情報で日々新たな職を求めて全国から人々が彷徨って来るわけだから尚更である。
 従って観光都市は勢い、名刹の過去のイメージを出来る限り保存しようとする意識的な、意図的な努力によって、次第に地元空間ではなく、地元の過去のイメージを恣意的に構成するという意図を、その観光都市で就業している人達(隣接する都市や、もっと離れた都市から来る人達)によって付与され、次第にメタ地元になっていく。そして各名刹もメタ名刹になっていく。
 この意図的な商業戦略自体を私は「部分化する観光都市モデル」と呼ぼうと思う。だから当然各名刹に於いてその戦略構成に参画加担している従業員は、ミクロ的にしか自分が就業している名刹の町に就いては知り得ない。つまり就業者と、その地元民との間に感覚的なずれが来たすのである。
 するとメタ名刹を抱えた観光都市は、次第にメタ名刹を巡る文化財保護の名目に於いて、地元民の意見や考えとは別箇の形で地方交付税確保術的な管理支配が蔓延っていくこととなる。そして地元民はそういった部分化された観光都市モデルとメタ名刹保護という形で税金を徴収されることとなる。
 日本の全ての法人、組織、会社は既に地方色はない。だからある会社が立地している都市自体の知識に従業員自身が疎い、暗いということは通常のことである。そこで都市案内所が各所に設けられていて、その従業員も別の都市から来ている。つまり都市空間全体が完全に日本国内でのコスモポリタンになっていき、各都市の地域、区域色は脱色される。それが現代の都市構造の顕著な特徴である。
 全ての企業、名刹はメタ化されている。メタ企業化されたカラーで動いている。ブランドだけが残る。それは我々の耳に過去の記憶を呼び覚ますからだ。
 部分化された観光都市モデルが大都会を更に複雑化している。人間が就業している空間だけは都市面積が拡張されていないのに比して飛躍的に伸びている。地下空間、地上空間が多層化している(地震が起きたら一体どうなるのだろう?)。
 しかも隣接する店が何をしているかは開店してから、前の店舗が去ってから後に知ることとなる。街全体は既に管理支配から、メタ管理支配化している。つまり部分論的な都市空間のシンボルを保全することに政治家達は躍起で、都市全体を俯瞰する能力も権限も持たない。都市計画の不可能性をも示している。又部分化する観光都市モデルをイメージとして維持していく政治家の方が尊ばれる。例えば東京都知事とは、東京の都市空間維持の為の業務と、地元民の為の利益を供与する業務とでは著しく乖離している。従業員にとっては都市空間が便利でさえあればいい。しかし地元民は暮らしやすさを求める。そこに対立が生じる。結局地元民に経済力があれば、そちらに利益が回ってくるが、企業の方が金があれば、そちらの利害が優先される。又地方都市では、地元に根を張った大企業が居座ってくれるお陰で飲食店は儲かり、関連中小企業は儲かる。しかしそのことと自らが居住する家屋を所有した市民や区民、町村民とでは、やはり利害が対立する。稀に重複することはあっても、それは概して経済力の乏しい人達が工場などがあることによって工員の為のアパートなとに住めるということで、或いは飲食店や小売商達が利害を一致させているだけである。
 つまりもっと遠い都市へと働きに出ている人達の利害は又別である。僅か自由業者達がこの両者の対立に対して中立的立場にいられるに過ぎない。
 メタレヴェルでの都市イメージの維持は、意味化された都市空間であり、観光地方のイメージ戦略であり、他地方から観光客を呼び寄せる戦略となっている。そしてメタ名刹や部分化された観光都市モデルは、次第に全国を席捲していき、無個性化していってしまう。僅かに旧来から保全されてきた家屋や名刹の建造物が歴史を彷彿させるだけである。
 この地方政治、観光都市型政治モデルは、歴史の、歴史的イメージの形而上化された結果である。そして地元民の住み心地とか住み安さよりは、そういったメタ化、形而上化された観光都市モデルの維持の方に行政も、企業経営も傾斜していくという運命に現代都市はある、と言える。
 では一体その様な無個性化されつつある現代都市空間の中で我々は如何に寛ぎを見出していくのだろうか?そのことに就いて次章では考えてみたい。

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