Saturday, March 16, 2013

第二十七章 交通機関の発達に伴う風景認識の変化に就いてPart1

 人間にとっての社会生活を最も一変させたものは言う迄もなく交通機関の発達である。人間にとってのインフラで最も時間感覚も空間感覚も大きく変えた(それが無かった時代には無かった感性へと運んだ)という意味で交通機関に勝るものはない。
 その中でもとりわけ列車、陸上交通の移動手段の要である鉄道機関の発達は都市空間そのものを駅を中心とした商業活動から観光、主要産業の育成等と共に最も変えてきた。それは生活空間の在り方の根幹を激変させてきたと言える。昨今の渋谷駅周辺の再開発にもそれは顕著に見られる事である。
 その中で空間感覚を変えた事は、移動に伴う時間の節約という観点から旅行の概念を時間感覚的にも大きく変えた事でもあるが、それ以上に我々が日常目にする風景への認識をも大きく変えたとも言える。
 江戸期以前は道路も舗装されていなかった。しかし明治期後半には全国の鉄道が施設され、やがて自動車が走る様になり、昭和時代は個人が車を所有して移動する事が日常化された時代であった。個人で車を利用する以前にも既にバス利用は日常化されていた。
 道路の舗装はとりもなおさず徒歩で行く旅行にとって有用な道の概念を一変させた。要するにスピーディーに移動する為には出来る限り曲線を避け、直線移動を円滑にする様に道路が改変されていく必要があったので、概ねどの町でも旧街道の方が紆余曲折していて、新道の方が直線的である。そこに都市空間の旧道文化と新道文化の多層性も生じてきた。
 江戸期は極後半には道路も整備されてきていたとは言え、鉄道が敷かれていたわけでもないので、全て移動は徒歩によるものであった(籠に乗るという以外は)。従って全て足で地球を直に触れて全国を移動していた日本人にとって当然風景は少しずつ変化していくものであり、突然変化する風景とは山を超え谷を超えていた頃には徒歩で初めて崖の下に見えた海とかくらいであり、トンネルが整備されてき始めたもっと後の時代になってからである。
 その点ではあらゆる風景への認識と美観は現代人より微妙な変化に敏感なものであった事は間違いないだろう。明治期以降の工業化の波によって形成される工場地帯等の人工的インフラの整備によって初めて風景とは突如激変する事を強いられ、その風景の激変に我々は日常的に慣れっこになっているが、それは少なくとも江戸期迄は多くはなかった筈だ。それは移動に要する徒歩による時間を考慮に入れても言える事である。
 鉄道が施設され、バスが運行されるに到って移動とは点から点へのものとなる。乗降客は最初の内は風景の変化が徒歩よりは早く実感出来る事を楽しんでいたであろうが、じきにそれも飽きて車内で車窓を楽しむ心の余裕は都市空間内では希薄化し、鉄道もスピードアップするにつれて車窓を楽しむ事はローカル線以外では稀になっていったであろう。
 要するに途中の風景の微妙な変化を楽しむよりは、特筆すべき個別的なその土地固有の風景を点的に把握する様になっていく。つまり東京の名所、千葉県の名所、茨城県の名所、埼玉県の名所、栃木県の名所と電車に乗って移動するにつれて点から点へとどの土地でも所在する名所への着目が変化のプロセスより特筆するパノラマへの意識へと移譲させていったと言えよう。デジタル的な風景の変化は、アナログ的な微妙で緩やかな変化をさして注目すべき観点では無くしていったと言える。
 従って現代へ近づくにつれ風景認識は都市とその都市の中心に位置する駅とその周辺の都市空間の整備とに伴った不連続的な点集合へと線的連続的に徐々に変化していくプロセス的移行から意識を向かわせてきたのが人類による交通機関の発達に伴った風景認識上の意識変化の最たるものであろう。
 つまり風景とはある土地の特筆すべき部分として切り取られたパノラマを中心にあくまで部分化された記号と記号の間の緩やかな変化よりは、より切断された点的に中心化された観光空間、都市主要空間へと意識を向かわせるものとなり、徒歩でのみ実感し得たプロセス的変化を抹消化させる(まさに徐々に埼玉県から栃木県へと移行していったり、徐々に静岡県から愛知県へと移行していったりする事が徒歩では実感し得ても、電車移動では切断されてしか実感し得ないという部分としての)方向へと進化していったと言える。
 この風景の切断化、局所意識集中化という現象が世界の風景を一変させてきたのが二十世紀以降の人類史であるとも言える。それは周辺の脱中心化されたエリアのスラム化、そして荒廃していく過疎化傾向を助長してきた。
 その点をより脱中心化されたエリアを復興させるべく意図されてきたのはここ十数年の事にしか過ぎない。郊外型大型店舗等の登場によって初めて我々は少しずつ緩やかに変化していく郊外に再び注目していったわけである。人為的変化自体への意識の着目状態はここ百年くらいの間恒常化されてきていたが、郊外を再び活性化させようと試みてきたここ十数年の間に再び自然自体の緩やかな変化へ意識を着目させようと我々は目覚め始めているとも言える。
 しかし車による移動では知覚的には道路標識とか信号とか交差点等の方へしかより神経を集中させられない。徒歩で移動して初めて都市インフラ以外の自然環境へも意識を向けられる。
 移動スピードの向上によって失われるものとは自然環境による変化とそれに伴う文化的なエリア毎の微妙な差異への着目である。それが高速道路等のインフラによって道路整備の直線化によってエリア毎の文化的差異が事実上意識の上では無視される方向へと移行していった事だけは否めない。交通機関の発達していなかった時代での文化伝播スピードが極めて短縮化され飛び火的に人的移動によってミックスされた複合異文化構造(文化の突発的キメラ化と呼ぼう)のエリア固有の文化の様相は交通機関とそれによる人的移動の頻繁化によって促進されてきた。
 要するに昔であるなら余程の理由がな限りなかった筈の異なったエリア同士の異文化結合が今日に近づくにつれ突飛なものとなり頻発し、よりエリア毎の厳密な差異も薄れてきているとは言える。
 直線化された道路と鉄道の線路の直線性とは、あるエリアの中心地を設定する事と、それに伴って点的に特筆すべき観光誘引的なパノラマを他エリアと切断された個別のものとして現出させてきた。しかしそのある土地と別のある土地との間には確かに徐々に変化し移行していく文化様相や土地土地の人達による生活習慣、そして伝承された古典芸能等の少しずつの変化、緩やかな変化が本来は根付いていたのである。つまり都市空間の他エリアからの差別化こそが点的にあるエリアの文化を集中化させ、それ以外の今では郊外として再注目されてきているエリアを周辺へと追いやる傾向へと進展させてこられたのが二十世紀文明であったのだ。
 かくして傾らかな山系以外の多くの点的に局在化された都市空間やインフラとその周囲の点を囲う付随物の密集へとのみ旅の移動で注目される様になり、それ以外の線的な移動での緩やかな変化は徒歩者にのみ委ねられる様になっていった、そしてそれに今我々はやっと気づいたという所ではないだろうか?