Monday, February 28, 2011

第十六章 世界は意図に満ちている?/快苦と慣れ②

 「部分化する観光都市モデル」は我々が居心地のよさを、修正不可能である様に思わせる惰性的性向に根差しているし、又性行為を巡り快楽と、出産時に味わう母体の痛苦自体も、それが出産後にはけろりと痛みが退くが為に又ぞろセックスに対する欲望が沸々と沸き起こるという様な相も変わらぬ快楽志向(嗜好)を我々が惰性的に理性以外に絶えず携えて生活している、ということを意味している。
 ミシェル・アンリが「精神分析の系譜」(大阪大学での講義録)で示している情感性(「身体の哲学と現象学」でも充分示されていた)や自己触発といった語彙は、まさにそういった惰性的な身体的記憶、しかもそれをもう一度味わいたいという欲求と関係がある様に思える。
 例えば我々は京都、奈良、鎌倉といった古都に対して期待するものが、個人差よりは、より一般的に日本人にとって故郷の様に思えるものによって形成されているのではないか、とそう思える。勿論日本人にとって味噌汁は地方毎に少しずつ全部味も違おう。しかしそれでも尚全国何処に行っても味噌汁が飲めるということこそが日本であり、そのことに対して、それこそが一番嫌いであると言う人の方が圧倒的に少ないのではないか?
 その意味ではこういった伝統文化的なコードへの追随とさえ思えないある種の我々による同化といったことは、記憶が身体的に、幼児体験的に遡れるものであればあるほど、それが理想の環境の様になっていってしまうということかも知れない。
 だからこそ部分化された観光都市モデルが日本を、何処に行っても山形には山形なりの、福島には福島なりの、仙台には仙台なりの良さを我々に求めさせる。
 それはやはり家庭とは寛ぎのあるものであった方がよい、と多くの人達が考える様な意味での安らぎとか憩いといったことの基本に横たわっているのではないか?
 だからある忙しない都会の喧騒を目の当たりにしてさえ、そういった環境で育った人にとって、それが一番安らぎを与えるものとして存在し得る。だから快苦の規準とは、そういう風に個々人によって極めて振幅の大きいものであり、ある個人にとっての快は別のある個人にとって痛苦以外ではなく、その逆もあり得る。
 そしてそれはまさに身体的記憶(響きとか匂いとか、或いは言葉の語呂<方言など>や、要するに外界から授受するクオリアの様々な在り方として)と密接で、それが想像力の在り方自体に個人差を与えている。 
 恐らく現象学者で天才的作家でもあったミシェル・アンリが自己触発とか情感性と呼ぶものとは、そういったことではなかっただろうか?
 そしてまさに個々人にとって異なるクオリアの在り方を我々に与えているところの環境とかそれを形成させるのに大いなる役割を持つところの自然こそが、世界自体となって、そういう風に個々人に異なった感慨を全ての事物が与えるという事実こそが、世界の非意図的な意図である、と言えないだろうか?
 その意味では我々個人が、存在者が意志するところの意図とは全く違った様相で世界自体が意図を持って我々存在者全体へと対峙している、と少なくとも私には感じられる時がある。それは特に極めて大勢の生活者や就業者達が集う大都会の喧騒の渦の中にいる時にそうである。否京都や奈良や鎌倉などを闊歩している時ですら、同じ名刹を同じ様な関心で訪れるあらゆる世代の人達の行動や表情を眺めていても感じることである。
 ある人達にとってある名刹は極めてゆるりと寛げる雰囲気であるが、別の人達にとっては全く別の名刹がそうなのである。そして私などの様に薬師寺とか唐招提寺の様な名刹にそれぞれ固有の池などを探索することに寛ぎを見出させている。西大寺には西大寺に固有の池があった。つまり池の佇まい自体に、我々は名刹の固有性を嗅ぎ取れると私は考えているのである。
 それは鉄道ファンにとって駅舎とか、駅構内の建築構造自体が、ある都市とかある地方の固有の特色を象徴している様なものとして認知し得るということとも相通じる。そして私はあの上野駅の駅舎にロマンを感じるとか、久里浜駅の駅舎に懐かしさを感じるとか、要するに個々人に異なった寛ぎ方を与えている。まさにその様に個々人で異なる寛ぎ方は世界には千差万別あるという事実こそが、世界が非意図的に意図的であろうとしている様に私には感じられるのである。
 これはある意味では極めて紀行文学的感慨であるかも知れない。しかしこの紀行ロマン的な感慨を我々に与えているのも文化という側面もあるだろう。しかしもっとダーウィンの自然選択的な真理とも大いに関わっていると思われる部分も確かにある。
 大都会東京には様々な場所があるが、ある一群の人達はある場所に、別の人達は別の場所に屯する。このパターンとは案外流動的ではあるものの、沈殿して定着している、とも言える。新宿のゴールデン街に集う人達の性格は大体似通っているとも言えるし、京王プラザホテルの喫茶で談話する人達も大体似通っていると言える。それはどういう会話をするかということで決定されている。これこれこういう会話をするには、これこれこういう場所が相応しい、従ってこれこれこういう場所を一緒に歩くのなら、こうれこれこういう友人、知人と共にが一番いいという選択は個々人である筈である。それはある歌曲がBGMとして流れてくるのが相応しい場所、逆にある場所にはある歌曲がBGMとして流されることが相応しいということがあるのに似ている。それは全く個人毎に差違はあるだろう。しかしその差異はやはり同意よりは遥かに小さいのではないだろうか?つまり概ね一致し得る相応しさに対する判断があるのではないだろうか?
 つまりその概ね一致し得る判断があるからこそ、一方では多種多様な憩いの場所があるにも関わらず、それらが案外余りにも対立することなく、共存している、ということと、モラルとかエシックス(倫理)が我々によって相互の暗黙の同意の如く何時の時代にも存在している(アンチモラル的、アンチエシックス的人生さえ、そういった同意を積極的に求めているとさえ言える。つまり反社会性にとっては、社会性が自己をアウトサイダーとかアウトローとして際立たせる存在として積極的に必要なのである)のではないだろうか?

Friday, February 25, 2011

第十五章 世界は意図に満ちている?/快苦と慣れ

 何故人間の目が頭の下に二つ左右あるのか、ということを哲学者永井均は不思議がっていたことがある。もし目が頭の全体に幾つも据えつけられていたなら我々に悟性なるものはなかっただろう、と氏が語っていたことが印象的に思い出される。
 確かに目がもっと沢山前後左右に据えつけられてあったなら、我々自身の想像力は今とは全く違ったものになっていただろう。第一後ろに振り返るという身体行為さえ必要ではない。しかしもしそういう風に我々が生まれついていたなら、それはそれで何とかなっている、そしてその事実に日常的には何の疑問も抱かずに、それが当たり前であると信じて生活していただろう。
 それはパソコンが普及して、それが当たり前になってしまった我々の生活と同じ様なことであったろう。
 かつて司馬遼太郎はエッセイで、もし現代社会に大正時代に生活していた人がいきなりタイムマシンで連れて来られたら、一週間と生きていられないのではないか、と述べていたが、私はそうは思わない。それは今生きている人でさえそういう人達もいるのだから、逆に大正時代から連れて来られた人の個々の性格や資質にも拠るだろう。つまり電子機器などの仕組みから使い方まで関心を持ったり興味を抱いたり出来るタイプの人と、そうではない人とに分かれるだろうし、余りそういうことに普段は関心を持たない人であっても、いざとなったなら、必死に習得する意志を持てる人とそうではない人とに分かれるだけのことではないだろうか?
 ジャレド・ダイアモンドの名作著作である「銃・病原菌・鉄」で紹介されたエピソードにqwerty配列のタイプライターの話がある。これは今のパソコンのキー配列である。我々は一度既に慣れ親しんでしまったキー配列に何の疑問も抱かないが、ダイアモンドによると、これは右利きの人にとっては苦痛な配列であるという考えもあったらしい。要するに使用頻度の高いキーが左に集中しているが故に、私は左利きであるが故に何の痛苦も感じないで済んでいるが、本来右利きの人にとっては使い難い筈だ、というのである。
 当書によれば「1932年には、技術的問題が解決され、効率的配列のキーボードが開発され、使用者によって速度は二倍、使いやすさも95パーセント向上することが示された。ところが、その頃には、qwerty配列のキーボードが社会的にすでに定着してしまっていた。過去六十年以上にわたって、キー配列を効率化したタイプライターやコンピュータのセールスマンや製造業者によって粉砕されてきている。」(㊦第十三章 発明は必要の母である 倉骨彰訳、草思社刊)
 このテクストは1997年の原著であるから、十四年それから更に経っているので、実に七十年以上もの長きにわたって、その慣習的なことに我々の身体感覚は指先からならされてしまっているのである。我々は不便さにも結構耐えられる先験的能力も備えている、ということになる。それは私自身にさえ経験のあることなのである。
 例えば私は左利きであるが故にかつて左利き用の挟みを購入したことがあった。しかしそれを利用しようとすると、既に私自身が左でものを切ることを右利きの挟みですることに慣れてしまっていて、既にそれを補正することが困難に感じられてしまっていたのである。つまり一旦慣れてしまったものを、「本来はそちらの方が便利である筈である」ことの方に補正することが容易になされ得る期限というものが一体あるのだろうか?
 つまりある時間的時点を越えたら、それは身体的メカニズムによってかなり補正が困難化していってしまうということがあるのだろうか?
 その意味では我々人類は既に言語行為を当然のこととして進化してきてしまっているが、ある時点迄なら、或いは今の言語活動よりも「本当は」便利なもっと有効な方法が我々にあった可能性はあるのだろうか?
 これはある意味では極めて自然科学的立証を必要とする問いであるが、同時に極めて哲学的問いでもある。何故なら我々は眼が頭の下、額の下に二つ左右にあるという事実に慣れきってしまっているが故に発想し難いことでも、或いは額にも、まさに三つ目小僧の様に目がもう一つあったなら、我々は今とは全く違った(だから容易に現時点でその際にそういう発想をするということを想像し難いことであってさえ)、しかし意外と実現したら、即座に慣れっこ(馴れっこ)になってしまう想像力というものがあるのかも知れない。
 それは我々の生殖システムの運命にも当て嵌まる命題である。
 例えば通常我々は性行為に快楽(身体的な意味での)を伴う。しかしセックスがもし今の様に我々に感じ取られる気持ち良さが全くなかったなら、我々は果たして子孫を繁栄させてこられたであろうか?
 その気持ち悪さ(仮に今の様に快楽ではなく痛苦以外のものではなかったとして)を克服する為の処方を編み出すということ自体を可能化させていただろうか?
 それは不可能ではなかっただろうか?あくまで我々は今現在気持ちいいからこそ、もしそれが気持ち悪くなりだしたなら、それを以前の状態に戻そうとするのであって、最初から一度として気持ちよくなかったなら、我々の祖先はその段階で子孫を繁栄させることが出来ず遠からず絶滅していたであろう。そして我々も当然のことながら生存してなどいなかった。
 しかし母親は、母体を痛めて出産する。これも確かである。私は男性に生まれたので、終ぞ経験し得ずに生涯を終えることだろうが、陣痛をはじめとする母体の痛苦がもしなかったなら、いやもっと積極的に出産自体が極めて気持ちよい、快楽的なことであったなら、我々は生存し得たであろうか?恐らく生物学者なら多く進化論的な合目的性に沿って「それはそれで、容易に子孫を儲けられるが故に子孫の数が溢れかえってしまい、早く絶滅していたであろう」と結論するかも知れない。しかしそれは私達人類の女性が陣痛がある、という事実を前提にものを考えるからである。実際はどうなっていたかはやはり定かではないだろう。
 精子の数は個数としては無尽蔵であるとさえ言えるのに対し、卵子の数はそうではない。生涯に女性が生める子供の数は男性に比べて明らかに閉経をも考慮に入れると、限りがある。
 ここにダーウィンも考えていた性選択の問題も絡むし、性的葛藤の問題も浮上する。
 しかしこの様な思惟を可能化することは、まず我々の前に当該の事実が存在し、それを因果論的に過去に遡及する形で考えるという習慣に根差す。仮にqwerty配列を無効化するくらいのもっと今よりずっとずっと便利なキー配列が考案され、それが未来に於いて定着していったとしよう。しかしデヴィッド・ルイス的に発想して、実は既に七十年以上も前にその配列が発見され、それが普及しきっていた世界なるものさえ実在するのだとしたなら、我々の世界とは、その可能世界の中のほんの一例にしか過ぎず、永遠にそんな配列など発見され得ぬ世界と、その世界の住人も、我々には終ぞ出会えぬであろうが、実在するということになる。
 しかしもしそういった思惟が恒常化してしまったとして、それが真に我々の未来へと向けられたヴィジョンを持つということに貢献し得るであろうか?
 その問題は当ブログには問い続けること自体に余りある命題である(それは今日本ブログで始めた「存在と意味・第二部 日常性と形而上性」に任せておくこととしよう。本ブログは進化論的視座を中心に、あくまで人類学的な考察<限りなく社会学的視点をも導入して>にとどめておきたい。又そうすることによって、ブログ「存在と意味」との協力関係を取り結ぶことが可能であろう)。
 しかし本ブログではこの命題が世界にとって意図的であるか否かという査定に於いては他の一切のブログに比して最高度に極めて哲学的な部分もある、とだけは言っておきたい。

Wednesday, February 16, 2011

第十四章 人類の転換点から読み取れることPart3 従業員全てにミクロ的視野しか与えぬ部分化する観光都市モデルのメタ名刹と管理支配への欲求

 京都は訪れる度に部分化された観光都市であるという印象を強くする。何故なら各名刹が犇き合っているが、個々の名刹は異なった宗派であり、相互不干渉を貫いてきたし、各時代毎の権力者の菩提寺があったりして、要するにそれらが相互不干渉主義的に共存しているからである。
 この点更に歴史を遡る奈良は少し違う雰囲気も漂わせている。土塀に隙間が空いていたりして、そこから隣の名刹へも行けるという形で風土的にも自然に全てが融合している。従って京都の風景は四角く視界的に切り取られたトリミングされた世界であり、風景であり、自然なのである。
 従ってある区域に犇き合う名刹の位置関係を把握しているのは、以前からその区域に住んできた人達だけである。観光所の人も超有名な名刹以外は地図を広げて調べる。
 又名刹に勤める従業員達も必ずしも京都出身者であるとは限らない。従ってキヨスクでもそうであるが、何か京都に関することを尋ねても、即座に返答が齎されることはない。「観光案内所で聞いて下さい」と言われるのがおちだ。
 しかしこの様な光景は京都の様な古都観光都市だけではなくなってきた。次第に日本中の全ての衛星指定都市がそうなっているのだ。
 かつてある会社の従業員はある地方の人達だけで、つまり自元で固められてきたけれど、今はそうではない。全ての地方の会社でも様々な地方から赴任してきた人達で構成されている。昭和三十年代迄なら、ある会社とか駅の売店のおばさん達は大体その会社や駅近辺の人が働いていた。しかし今は違う。その波は既に昭和四十年代から加速化されてきた。そして今では既にメガロポリス東京の雰囲気は多層化された都市構造となっていて、ある区域で就業する人達の大半は全く別の場所からそこに訪れている。都市自体に地域色とか地方色は急速に失われている(このことは宇野常寛も思想地図βで述べていることでもあるが、彼は郊外にそれを見ている)。
 日本中にあるキヨスクの従業員は恐らくそんなに遠くから勤めているわけではないだろうが、キヨスクから自宅までの点から点への経由する路線だけは把握していても、キヨスクを取り囲む、例えば東京の新宿区のあらましに就いては殆ど知らないということも稀ではない。第一キヨスクに勤務していたなら、駅構内のことくらいは分かっても、駅を一歩外に出た後の街のことまでは知らないということがあっても可笑しくはない。
 これは就業している職業行為習慣にも拠る。営業パーソンならかなり多くの区域を足で確めているだろうから、かなり道に関しては詳しいが、一箇所に留まって勤務する人達はそうではない。従って飲食店勤務者もそうである筈だ。
 就業時間を終えて尚同じ街で飲みに行くとは限らない。新宿から和光市まで帰宅するとしたら、途中の池袋で立ち寄るという習慣の従業員もいるだろうからだ。
 これは一重に交通機関の発達によって容易に隣接する都市から働きにこれるという事情にも拠る。つまり一箇所での労働力は多くの地域、地方から構成されるという現実を容易にした。しかもその上にネット情報で日々新たな職を求めて全国から人々が彷徨って来るわけだから尚更である。
 従って観光都市は勢い、名刹の過去のイメージを出来る限り保存しようとする意識的な、意図的な努力によって、次第に地元空間ではなく、地元の過去のイメージを恣意的に構成するという意図を、その観光都市で就業している人達(隣接する都市や、もっと離れた都市から来る人達)によって付与され、次第にメタ地元になっていく。そして各名刹もメタ名刹になっていく。
 この意図的な商業戦略自体を私は「部分化する観光都市モデル」と呼ぼうと思う。だから当然各名刹に於いてその戦略構成に参画加担している従業員は、ミクロ的にしか自分が就業している名刹の町に就いては知り得ない。つまり就業者と、その地元民との間に感覚的なずれが来たすのである。
 するとメタ名刹を抱えた観光都市は、次第にメタ名刹を巡る文化財保護の名目に於いて、地元民の意見や考えとは別箇の形で地方交付税確保術的な管理支配が蔓延っていくこととなる。そして地元民はそういった部分化された観光都市モデルとメタ名刹保護という形で税金を徴収されることとなる。
 日本の全ての法人、組織、会社は既に地方色はない。だからある会社が立地している都市自体の知識に従業員自身が疎い、暗いということは通常のことである。そこで都市案内所が各所に設けられていて、その従業員も別の都市から来ている。つまり都市空間全体が完全に日本国内でのコスモポリタンになっていき、各都市の地域、区域色は脱色される。それが現代の都市構造の顕著な特徴である。
 全ての企業、名刹はメタ化されている。メタ企業化されたカラーで動いている。ブランドだけが残る。それは我々の耳に過去の記憶を呼び覚ますからだ。
 部分化された観光都市モデルが大都会を更に複雑化している。人間が就業している空間だけは都市面積が拡張されていないのに比して飛躍的に伸びている。地下空間、地上空間が多層化している(地震が起きたら一体どうなるのだろう?)。
 しかも隣接する店が何をしているかは開店してから、前の店舗が去ってから後に知ることとなる。街全体は既に管理支配から、メタ管理支配化している。つまり部分論的な都市空間のシンボルを保全することに政治家達は躍起で、都市全体を俯瞰する能力も権限も持たない。都市計画の不可能性をも示している。又部分化する観光都市モデルをイメージとして維持していく政治家の方が尊ばれる。例えば東京都知事とは、東京の都市空間維持の為の業務と、地元民の為の利益を供与する業務とでは著しく乖離している。従業員にとっては都市空間が便利でさえあればいい。しかし地元民は暮らしやすさを求める。そこに対立が生じる。結局地元民に経済力があれば、そちらに利益が回ってくるが、企業の方が金があれば、そちらの利害が優先される。又地方都市では、地元に根を張った大企業が居座ってくれるお陰で飲食店は儲かり、関連中小企業は儲かる。しかしそのことと自らが居住する家屋を所有した市民や区民、町村民とでは、やはり利害が対立する。稀に重複することはあっても、それは概して経済力の乏しい人達が工場などがあることによって工員の為のアパートなとに住めるということで、或いは飲食店や小売商達が利害を一致させているだけである。
 つまりもっと遠い都市へと働きに出ている人達の利害は又別である。僅か自由業者達がこの両者の対立に対して中立的立場にいられるに過ぎない。
 メタレヴェルでの都市イメージの維持は、意味化された都市空間であり、観光地方のイメージ戦略であり、他地方から観光客を呼び寄せる戦略となっている。そしてメタ名刹や部分化された観光都市モデルは、次第に全国を席捲していき、無個性化していってしまう。僅かに旧来から保全されてきた家屋や名刹の建造物が歴史を彷彿させるだけである。
 この地方政治、観光都市型政治モデルは、歴史の、歴史的イメージの形而上化された結果である。そして地元民の住み心地とか住み安さよりは、そういったメタ化、形而上化された観光都市モデルの維持の方に行政も、企業経営も傾斜していくという運命に現代都市はある、と言える。
 では一体その様な無個性化されつつある現代都市空間の中で我々は如何に寛ぎを見出していくのだろうか?そのことに就いて次章では考えてみたい。

Tuesday, February 1, 2011

第十三章 人類の転換点から読み取れることPart2

 現代社会の実相はある意味では相手の出方に対して裏をかく仕方が極自然であるか否かということが勝負を決すると言える。要するにウィンドサーフィンの波乗りのタイミングに近い。
 IT業界に於ける世界的潮流はその波乗り的なタイミングによって勝敗を決してきた。例えばアップルは元祖のパソコンメーカーであるが、方式のユニヴァーサリティ自体はマイクロソフトに大きく水を開けられた。そのマイクロソフトに続いて成功を収めたのはグーグルだった。マイケル・シュミットの検索システム、ポータルサイトビジネスは世界的成功を収めた。しかしその後発組として最も成功を収めたのはアップルであった。i-Podやi-Padに於いてパソコンと携帯電話との連携プレイを確固としたユーザーニーズに直結した功労はアップルに軍配が上がる。しかし創業者でCEOであるスティーヴ・ジョブズの病気が原因で、株式相場が急落した。当然生き馬の目を抜く当業界では、フェイスブックのマイク・ザッカーバーグが日本でミクシーが先見の明があった様な意味で特権的アイデンティフィケーションシステムとして世界に先駆けた。
 要するにあるコンセプトやアイデアは端的に前時代の通念や常識の範囲から少しだけ逸脱することによって達成される。つまりマイクロソフトとグーグル、フェイスブックへのヒーローのバトンタッチ劇の間には重要な出来事があった。それはホームページからブログへの時代的移行、そしてツイッターの登場であった。
 ブログは無料のシステムだし、ツイッターは匿名的参加を可能化するシステムであり、現在進行形的な仕方で参入することが出来る。しかしそれが定着すると次第に特権化された閉じたコミュニティもあっていいという見解が出る。それがフェイスブックであった。
 似たことは文壇にも画壇にも詩壇にも俳壇にもあり得る。ある一人のカリスマ的な独断的毒舌家が三年から五年間世間を席捲したとしよう。すると次第に反社会性と反アカデミズムへの戦略的スタンスは世間一般に定着していく。例えば最近ではオタク的なアートがすっかり定着してしまった。その中で荒木経惟や森村泰昌、かつて異端的であったフランシス・ベーコンがすっかりオーソドックス的地位を獲得していった。
 異端的地位であったアートや写真やパフォーマンスが一定の社会的地位を獲得するに従って我々は次第にある種の表現的スタティズム、つまり本来のオーソドックスを求め始める。最初は潜在的に次第に顕在的に。そこでアートでも映像でも写真でも、「本来本流とか主流とは何であったか」というクウェッションが提示される様になる。
 そこで我々は今主流化して定着したかつての異端を異端化していた主流自体が既に傍流化してしまっている事実へと覚醒する。
 チュニジアの政権転覆を招聘したのがツイッターやフェイスブックであったことは記憶に新しいし、それが飛び火してエジプトのムバラク政権転覆へと民衆のパワーは炸裂している。これらの政治的メインストリームをメインストリームにしているのは、ある部分ではノーベル平和賞の劉暁波氏受賞劇であり、Wikileaksでもあった。
 世界が既に管理者、統括者の手から一般民衆の無言のネットインフォメーションへと移行しつつある。そしてある経営者が、日本ではユニクロの様にある種の巧い時代の波乗りサーフィンの様にニーズの谷間を掻い潜る様な臨機応変なタイミングを虎視眈々と狙っている。しかし当然のことながら、自分の資質に見合った形でしかその波乗りに参画することは出来ない。あくまで何か起業することを奮発させるモティヴェーションは自分の時代全体への憤懣やるかたなさから発生する。時代の迎合は短期間しか功を奏さない。
 本来的オーソドックスも異端性も常に一定期間を個々持続させながら反復する。勿論あるモードが前時代のモードの再来であったとしても正確には相同ではない。恐らく少しだけずれている。70年代に流行したミニスカートと相同のスタイルが再燃することはないだろう。それは各分野毎の専門的知による時代毎の決定がある。
 少なくとも現代社会では上から目線的な管理統轄システムが瓦解しつつあるとだけは言えよう。それは一旦最下層から反目的な眼差しを獲得したら、どんなに清廉なモティヴェーション保持者であれ、権力基盤ががたがたになっていくであろう、ということだけは確かである。
 アート界ではかつれレオ・キャステリー・ギャラリーが最前線であったが、今ではガゴシアン・ギャラリーがアルベルト・ジャコメッティ、草間弥生、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、ダミアン・ハースト、村上隆といった第一線、或いは古典的アーティストを扱っている。この種のギャラリートップポジションの世代交代劇は頻繁に起きている。彼等は常に最前線自体が何に照準を合わせるべきかだけを模索している。
 それはある意味では時代が彼等全体の手によって恣意的に作られてきているということを意味する。只政治的宗教的にはアメリカの影響力が弱体化しているにも関わらず相も変わらずアート市場はアメリカ主導型であることが一つの大きな矛盾点となっているのは、政治的バランスと文化的位相とのずれであろう。つまりその政治宗教的世界動向と、そのムーヴメントを尻目に展開される一種の文化的発信力自体の二重性が、今日の現代社会の矛盾でもあるし、可能性でもある。つまりアメリカのIT産業全体のクライアント的な誘引力は既に米国外的であるし、常にアジアであり中東でありアフリカであり南米である。
 ヒズボラ、ハマス、アルカイダ、アルジャジーラといったイスラム圏的ムーヴメント自体が今後フェイスブックやWikiLeaksとどう連携プレイを演じていくかということも見ものである。
 それは主流と傍流の二極乖離的二元論から、次第に主流と傍流の相互共存、主流と傍流の多元化と、ロールプレイング自体の交代的な反復といった複雑化した展開だけが期待出来る、ある部分では予想のつかなさ、それは多分に刻々と推移しつつある偶発的イヴェントの類発性だけが今後の展開を推測し得るところの反ケインズ理論的な展開が世界的規模で顕在化している人類の転回点、或いは転換点から微視的変化への覚知的未来予想を各人に強いる時代の到来と位置づけることも可能である。
 つまり大局ということが成立し難い状況下で常にオタク的ニーズ全てを捨てずに持ち駒として温存していくそのストックメンテナンスが我々に多様的な価値を再認させてくれる様なシステムである。要するに簡単に選択肢を狭めるなということと、容易に見通しを効かすことの出来なさが偶発的イヴェントの持つ次代への展開可能性を見逃すな、ということである。それは絶交のタイミング自体が常に推し量れないという諦念の受容であり、タイミングを無視して遂行しつつ、時として成果が顕在化してきた時だけ指揮権発動するということと言おうか?