Friday, July 25, 2014

第三十四章 個体数の数値確保的な世界戦略Chart1

 ウクライナ上空を飛行する民間旅客機が撃墜され乗組員、乗客全員が死亡したニュースが世界を駆け抜けると、それ迄大問題とされた多くのニュースが一挙に影を潜めた。
 マレーシア航空のこの悲惨な事故以来何度も似た様なニュースが飛び交った。そしてその度に事故原因調査とかいう名目とフライトレコーダーとかヴォイスレコーダーという語彙が登場した。これらの機器の設置は、あくまで非常事態に直面した時その原因を突き止め、それ以降似た事故が起きない様にする為であり、その時に生きている幸運な人達の為であり、あらゆる不幸な事故とそれに伴う犠牲者の死とは後世に役立てるものでしかないという認識がある。
 其処には安全性の数値目標と、個体数的な犠牲者の少なさを誇る為に、用意周到に設えられた世界戦略が仄見える。その数値を獲得する為に仮に犠牲となっていった場合に、その犠牲を無駄にしない為の方策が全ての飛行機に搭載されている。まるで生きている人達全員の為に生きてきたけれど不幸な事故で死んでいく人達の死は無駄にしてはならない、というお触れの様に見える。
 この様な不幸な航空機事故だけではない。世界全体に張り巡らされているあらゆる軍備がそういう事を目的として、生存者の安全の為という名目の為に設定されている。町中至る所に設えられている監視カメラもそうである。一切悪い事をしない人達の為にどんな些細な悪事も見逃すまいという名目でそれらは設えられている。
 監視盗聴システムの全ては一切犯罪とは無縁で生活する善良な市民の為に、あらゆる挙動不審な行動を全てチェックする為に設えられているのだ。
 人に拠って感じ方は違うだろうが、そういう風にあらゆる監視盗聴が日頃の治安の為にも、そして非常時の事故の時の為にも設えられているというリアル自体に、だから安心だ、安全なのでほっとするという感性もあるのかも知れないが、そうではない、そういう風に全てが過去に起こった不幸で不届きな事故や事件を二度と起こすまいという名目で過剰にイフを全体に設定されている、という事自体は極めて異様な社会様相だと言える(と少なくとも私の様な感性の人間には思える)。
 そういう事故が起きない様にする、そういう犯罪が起きない様にする為に考えられる方策が、もしそういう事故が起きた時に備えて、もしそういう犯罪が起きた時に備えて設置させておこう、という意図が全面に出ている。まるでそれ以上の最良の策などありはしないのだ、又仮にあった所でそれを探している内に時間がどんどん経ってもし事故や事件が起きたならうろたえるだけではないか、という主張なのである。結局全ての事態が起こるべくして起こるが、その真の原因を突き止める為に、更なる犠牲を要すというこのリアルを誰もどうする事も出来ないのだ。
 警察や軍隊等の存在は、人は悪い事をする、集団でも悪い事をする、或は過ちも犯す可能性があり、その為にいざそういう事が実際起きた時の為にそれらが必要だという発想で設えられてきたインフラなのである。つまりそれらは全て人間の考え得る理想や相互の信頼とは本来脆弱なものであるとか、本来人間に作った科学技術とはどんな日常的な航空であっても不完全な部分は必ず残っているのだという事自体を認めた方策に拠って設置されているのだ。
 これはある意味では自然科学の知識や科学技術の進化がそれ程ではなかった時代にはなかった事である。つまり現代社会に進化したテクノロジーが登場する様になってから初めて直面した性悪説的に人を見たら泥棒と思え、科学技術だって所詮不完全なものでしかない、という事を予め認める所から出発しなければいけない事態なのだ。
 結局何か不測の事態へ対処する為の方策が立てられ、その不測な事態の対処が万が一にも失敗した時の為の方策というメタ的な対処の無限背進的な思考に基づいている。
 そしてこの矛盾は個人内部では誰しも思っていても、それをではどうするかという決裁に於いては、やはりそうする以外にないというある意味では最も平凡な判断こそが一番信頼が出来るという事を示してもいるのだ。つまり一番消極的な対処法が結局一番無難で、それ以外の一切の理想的対処法を退けていってしまう、という訳なのだ。
 唯この問題は一方では確かにセンチメンタリズムでしかあり得ないという批判を完全に躱す事が出来ないという難点はある。しかし他方そういう考えではこの何となく誰しもが不安になっていく、つまりシステム的整備というリアル自体が進化し過ぎると、まるで機械やツールとかインフラ自体が人類の精神的安定や安心を打ち砕き、過大に不要なストレスを生じさせていくという漠然ではあるが、想定しやすい未来へ何も提言しない事を招聘してしまうのだ。(つづき)  

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