Tuesday, June 3, 2014

第三十三章 生活空間とBGM・資本主義/経済自由主義・社会倫理と個人の価値Part3 国家という形で落着する処に人類の限界があるのか?Ⅱ システムの鼬ごっこに於ける未来展望①

 凄く重要な事はツールやディヴァイスの進化は、その利用スキルとは切り離されているという事だ。その証拠に人類は文明の発展順に今の世界で社会インフラを進化させている訳ではない。つまりもし今アマゾン流域に住む原住民がA、B、Cと三部族居たとして、彼等が一切現代文明を知らず、即ち大型コンピューターからMS-DOSやXP、VISTAから8迄の歴史を知らずしても尚、現代のスマホ等のPDF端末やタブレット端末を利用するスキルは直ぐに教えれば覚える、習得し、或いは現代文明を熟知する現代文明圏、先進国市民達より速いスピードでそれ等を利用する事に習熟する事さえあり得るという事だ。つまり文明の発展や社会制度や法律の進化、全面戦争時代とその後の戦後秩序の形成等の歴史を一切すっ飛ばしていきなり現代の最新鋭の機器を一切の文明を知らぬ原住民に渡しても、習熟してそれ等の利便性を享受する事は充分可能だ、という事である。
 更に重要な事は現代文明自体が既に集団や組織の一員でなくても充分PC遠隔操作事件でも明らかな様に個人のスキルだけで(少なくとも天才的ハッキングスキルさえあれば)サイバーテロを通して全世界へテロを仕掛ける事さえ可能だ、という事だ。だが当然の事ながら新種のウィルスを開発する悪徳業者と結託して更に新種のウィルスへの抗体を維持し得る新機種開発メーカーがハッキングスキルを持つ天才ハッカーを採用して、その鼬ごっこは留まる処を知らないと、その現実自体を利用しようとする荒手の天才犯罪者が更に登場するという鼬ごっこも継続していってしまう。
 今日のニュースではSTAP細胞の発見自体が、或いはES細胞とTS細胞が融合してしまった結果STAP細胞という新たな万能細胞だと錯覚してしまったのではないか、と報じられていた(さてその錯覚自体が新発見へ繋がる価値のある錯覚なのかは専門家に委ねるとして)が、実はこういった功を焦る自然科学研究分野へさえ、ハッキングスキルと新種のウィルス対抗ソフト開発の鼬ごっこと同様時間との勝負となっているという現実も浮かび上がり、短期間に業績を上げないと出世コースから外されるというシヴィアな現実に直面した研究者達が写真の合成等をはじめとする行為へ無意識か意識的かは問わず心理的に誘われる事は極めて必然的な現実展開だとさえ言える。
 かつて本ブログで都市空間の連動に就いて述べたが、連動ということが研究成果の発表と、その発表の為に支払われる研究努力やその短期間での成果達成というプレッシャーが奇妙な事にも天才的個人のハッキングスキルを自己顕示欲的に匿名的な犯罪者となって世間一般、世界のマスコミに連日報道される事で充足されるナルシス的愉悦獲得欲求とまさに現代社会で連動しているとさえ言い得るのだ。
 この様な個人犯罪と研究者の成果達成プレッシャーとが社会内リアルに於いて連動してしまう、つまり時間との勝負という現代社会の必然的運命が、ツールやディヴァイス利用を通して、結局個人の幸福感の充足より、集団、組織、法人、国家等のマスそのものの利益、国家レヴェルで言えばGDP競争へのみ加担する構造を作り出し、蜥蜴の尻尾切りで一旦はゴーサインを出した研究さえ引っ込めさせ様とする理研の生き残り欲求自体も、この現代社会全体のシステム論的な鼬ごっこの一端を図らずも示してしまっているという事それ自体はパロディではなく現実なのである。
 入試ミスが相次ぐ昨今の大学入試とこのSTAP細胞発見を巡る研究者と理研という組織が取る態度とはよく似ている。もしアマゾン川流域近辺の非文明社会の原住民に直接コンピューターの歴史自体を一切教えず、ハッキングスキルを教えれば現代人よりは多少時間がかかっても、中には天才的な闇ハッカーとして暗躍し得る成員さえ登場する可能性も決してゼロではない。つまり現代社会のシステム化されたコミュニケーションのリアル自体が、個人の愉快犯的犯罪者のナルシスと実際にはモラル論的にはそうであってはならない研究者の心理とを極々接近させる様な暗黙のネットが現代社会には張り巡らされているという事を彷彿させる様な片山容疑者ケースとSTAP細胞発見のニュースであった、と後代の歴史家が叙述する日も来るかも知れない。(つづき)

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