Tuesday, November 4, 2014

第三十五章 個体数の数値確保的な世界戦略Chart2 記憶と想起の変容とリアルに拠るフィクションの模倣

 20世紀以降の人類の記憶と想起は固有だ。映像(ニュース、ワイドショー、ヴァラエティ番組)の記憶と想起、ニュース説話的対話ナレーションエピソードの記憶がリアルエピソードと重なっているからだ(今日自転車に乗っていると、ボリス・エリツィンの名を突如脳裏に抱き、連鎖的連想的に二日酔いで式典の臨み、其処で倒れかけ、側近が助けようとして大統領が正気を取り戻したので何も無かったかの如く取り澄まして素知らぬ振りをして起立し直した映像を想起した)。
 21世紀以降の人類はゲームソフトとスマホ画像とタブレットやPC画像・動画画面遷移的記憶(youtube編集画面遷移とクリック画面遷移等)が我々の視る夢の内容迄変えていっているに違いない。我々はビジネス思考をする時、管理職者でも一般従業員でも過去の全映像で語られたエピソードや経営者や従業員の生き方や人生での展開をその都度思い出し、栄枯盛衰への読みから自分自身のビジネスをその映像想起を糧に(参考にして)決定しているとさえ言える。
 映画<バイオハザード>シリーズは美女女優ミラ・ジョボビッチ主演で何作も作られているが、そもそもがゲームソフトの作品のリメイクである。其処ではかなりリアルな血しぶき等も丹念に描かれ、その凄惨さ自体をリアルテロリスト、例えばイスラム国等の面々も参考にしているのではないかと思う。つまり映像のリアルな凄惨さ自体がリアルのテロリスト集団にヒントを与え、フィクション自体が現実へ影響を与えているのだ。リアル社会の現実がフィクションに影響を与えるスピードより余程逆のベクトルの方が多いし、速いのではないだろうか?
 バイオハザード的な凄惨な映像は正視に耐えられるか否かのバロメータとして提供されている感があるが、それらに影響を与えてきた音楽はロックでもビートルズやストーンズではなく、ステッペンウルフのBorn to be wildやブルース・スプリングスティーンのBorn to the U.S.A 、ディープ・パープルのHighway star等だろう。何処か刹那的な快楽に打ち興じる現代人の切なさ、儚さを示している様な歌達ではないだろうか?
 この同じ様なスピリチュアルなものは当然アンディ・ウォーホルの肖像画シリーズにもあるし、ジャン・リュック・ゴダールの映画も先駆けていた。とりわけ<勝手にしやがれ>では虚無的生き方をして自分自身で「俺ってサイテーだぜ」と死ぬ前に呟かせる。サイテーな生き方をすると自負するくらいなら、サイコーの生き方にそれを変えてやれという意識がイスラム国にもあるのかも知れない。そういった映像や音楽がインスパイアするものを未来に肯定的価値へ転換させていこうという意識がテロリスト集団にはある。ウイグル族がテロ行為を北京で繰り広げてきたのにも、ゴダールの<中国女>の持つリアルワールド自体へのシニシズム的視点とメッセージ映像的な詩情が却ってリアルワールドの安穏とした変えられなさ、執着するリアルのリアルっぽさへのニヒリスティッシュな向き合い方が背景にあって、それならいっそ自爆テロにでも赴く方が形而上的価値があるのではないかと思考して挙に及んできたと言えないだろうか?
 我々の想起が既にリアル出会い遭遇記憶でなく、ニュース映像やテレビ番組エピソードも含まれていて、それが21世紀以降の人達にはゲームソフトの刹那的な画面遷移やスマホ映像の画面遷移の持つスピードがスピリチュアルにメカニックなシステムを優先させる、ゆったりとした感性を磨滅させ、数値主義的な冷酷さを我々に「リアルはそうなのだし、それは変えられない」という気分を煽っている。記憶と想起のシステム自体が徐々にアップル、グーグル、マイクロソフト、ヤフー等に管理されつつある。そういったコングロマリットを進化させてきた背景にロックシーンのハードロック、パンクロックがスピリチュアルに与えた影響も無視出来ない。ゆったりズム自体が成立し難い生活環境に我々が居る以上、そしてリアルテロ集団がゲームソフトを模倣するベクトルが、フィクションがリアルを模倣するスピードよりずっと速い、という事自体が我々を数値主義以外のバロメータを成立し難くさせている。
 未来予想的に言えば恐らく数値主義は無くならないだろう。しかし数値主義の限界、つまり死者数やニュースで伝えられる数自体が持つ無名性に真の意味でのリアルさはないのだ、という事自体への反省的視点もずっと維持され続けるだろう。その二つの「この侭でいいのか」と「この侭変わらぬのではないか」という二つの想念自体が我々が睡眠中に見る夢にもずっと影響を与えていくことだろう。何故なら夢とは記憶の整理に外ならないからだ。記憶自体がリアル出会い遭遇記憶だけでなく映像や端末画像記憶も混入してその二つの境界さえ曖昧化していく様な想起的な脳内リアルの変容自体が、先程の二つの想念を延々維持させていくに違いない。

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