Thursday, November 5, 2009

第十章 感性と意図①

 私は少々先述したが、埼玉県の歴史ある東京から電車で一時間くらいのところにある地方都市に住んでいるのだが、休日になれば(尤も文筆を生業にしているために他の通常の組織に属している人の休日が必ずしも私の休日とは限らないのだが)電車に乗って小一時間あるいは二時間以内の場所で素晴らしい景観を臨める郊外や田舎町に出掛けることが出来る。そして特に春先の花見の季節には、私の住む近所では四月初めに最も桜が綺麗に満開になるのだが、少し山奥の町に行くと、四月の十日過ぎくらいが一番綺麗に満開になり(秩父市などはそうだ。)、もっと奥まで行けば、例えば三峰神社近辺は五月初頭が満開の季節であり、要するに桜前線に沿って優に一ヶ月間も休日を利用して花見を楽しむことさえ出来る。埼玉県は神奈川県のような全国規模でバカンスを楽しむ客が訪れる行楽地はない代わりに私のような庶民には憩いになる場所には案外こと欠かないのだ。
 ところで私は生まれてから幼少期を過ごし、更に大人になるまで何回か引越しをして、大人になってから三箇所目に住んだ都市に今現在の自宅があるが、幼い頃から格別裕福ではないが、決して貧乏ではない家庭に育ち、幸福だったと思う。(「眼の誕生」という素晴らしい本の著者のアンドリュー・パーカーはその本を両親に捧げているし、アンドリュー・H・ノールは自著「生命最初の30億年」で「両親へ。生まれも育ちも私は幸運でした。」と感謝の意を捧げているが、私もそういう意味では同感である。尤も私の父は少し早く他界したので、親孝行をすることは出来なかったが、今現在の私は父に感謝するところが大きい。)しかし幼い頃私は土地付き一戸建ての家庭を持つことが夢だったが、今はマンションの住人である。自分の土地を持つ夢は未だ叶えられてはいないが、もし私が旧華族の出身者であったなら、あるいは広大な土地を所有する農家出身者であったなら、戦後にその土地を管理して一般市民に解放したりした両親の後を継いだりして多忙で全然休日に近辺の景観のよい場所を訪れる暇もなかったかも知れない。土地を持たない都市型の人間のメリットはどのような素晴らしい景観の場所にも容易に訪れることが出来るし、何よりも目で素晴らしい景観の場所を見ることは無料である。
 目が見えるということはそれだけで素晴らしい恩恵があると考えてもよい。尤も生まれながらに視覚を持たないで生活している人にもまた、目が見えない分、別の、例えば優れた聴覚を持ったりといった脳自体の可塑性に順じた能力を保持するということはあるから、必ずしも全て人間に予め機能として備わった知覚能力を保有していることだけが幸福であるとは限らないが、健常者でいるということの恩恵を、健常者はもっと感謝すべきなのかも知れない。
 哲学者の竹田青嗣は知覚というものを自由には変更出来ないものであると捉えているが、彼に習えば情動はそれとは違い心の持ちようでいかようにも変更出来るものである、とも言える。さてそのことを考慮に入れるなら、かつて日本では勝ち組と負け組などという馬鹿げた価値観が蔓延っていたこともあるが、私が考える価値システム論においては、人間において勝ちとか負けという差はあり得ないのである。
 かつてビートルズが歌でchange the worldと歌詞に表現した時、彼等の主張には、我々が目にする光景自体は我々によってはそう容易に変更することは出来ないが、心の持ちようでいかようにも現実を認識する仕方は変更出来るという考えがあったと思う。
 例えば天候に恵まれない日も多かった今年四月私は草加公園、吉川貯水池、村山貯水池、小金井公園、ミューズパーク(秩父市)、音楽寺といった数箇所で桜の最盛期を堪能することが出来た。そして通常の休日に訪れたのは草加公園だけだったので、他の箇所では殆ど私が桜を見ることが出来た時間に、ある時間の桜の状態を知るのは私一人という場所も珍しくはなかった。これはそれだけで考えようによっては特権的な事態ではないだろうか?
 サルトルの「存在と無」は竹田が捉える欲望という主要概念から世界を見る時、「自己超出」という概念からは推し量れないと、竹田は苦言を呈しているが、サルトルはまた別の観点から彼の世界を見たと言える。サルトルがバタイユからも影響を受けていたことは今日大分研究が進んで知られるところとなっている(サルトル研究及び翻訳の第一人者である澤田直氏が指摘している。)が、確かに欲望という概念から言えばバタイユの方が数段進んだ考えの持ち主であったが、存在の気配とか視線の修辞学という観点からはサルトルはハイデッガーをも一歩進めた存在であったと言える。例えば私がある人間の姿を客観的に捉えられるのは彼(女)の視線がこちらに向けられていない限りであって、一旦彼(女)の視線がこちらに向けられ私の視線と合致したのなら私は最早彼(女)を客観的には捉えられないというようなことを述べているが、こういう捉え方はハイデッガーにも知覚を大きく捉えたフッサールやメルロ・ポンティーにもなかった。
 またある経験をしたとして、例えば食事をする、自分の家に来た手紙を読む、お風呂に入るという行為も、一個一個の行為をどういう順序でもって全ての行為をすることが出来ても、人生におけるある日に行うことを何らかの特定の順序でしかなし得ないのであって、例えば今年の四月十四日には今言った三つの行為をしたとしても、食事→手紙を読む→入浴か、手紙を読む→入浴→食事か、入浴→手紙を読む→食事か、食事→入浴→手紙を読むか、入浴→食事→手紙を読むか、手紙を読む→食事→入浴のいずれかであって、その全てを経験することは出来ないのだ。つまり人生は常に全ての行為をしたとしても尚、その順序とかある日の行動に関して全て考慮すれば一期一会の連続であり、ある一日を繰り返すことは決して出来ない。そういうことも彼は述べている。そういう部分に文学者でもあるサルトルの面白さがあると言ってよい。
 それはある光景を見る存在者の立ち位置や見る角度、あるいは時間の唯一性に関しても言えることである。先述した通り2007年四月十三日の二時半に私のいた場所から桜の花を見た者は要するに世界中で私一人である。そう考えればこの世界に負け組などと言う人間はただの一人もいはしない。それはある意味では他者を羨んだり、妬んだりすることが実に愚かであるということの証明にもなる。人生の一期一会とかその場所から見たその時間の花見という観点に立てば、全ての存在者は特権者以外の者などいない。
 確かに決して幸福とは言えない人々も大勢いるし、今までもいた。しかしその者たちのそういう世界で唯一の観察者にして接触者であるという特権まではどんな強権的独裁者たりとて、あるいは自然の脅威すら奪うことは出来ないのだ。
 2006年、日本の書籍の綜合売り上げベストワンに輝いた数学者藤原正彦氏の著作「国家の品格」は、その内容の全てに私は賛同するものではないが、第二章の<「論理」だけでは世界が破綻する >において論理には出発点が仮定として必要で、その出発点を選び取るのは論理ではなく情緒であるという見方には賛同出来た。どういう問いを立てるかという選択は、確かに論理によってはなし得ないだろう。
 しかし同時に人間は常に何かを選択する時に、全ての選択可能性を配慮して選び取っているのではない。寧ろ人間が何かを選択する時には、何かを選び取る時に躊躇するような局面の方がずっと頻度から言えば小さく、殆どの行為は直観的に「何をするか」を決めている。その一つ一つの行為選択を支えているものは記憶による妥当な判断であり、経験的事実に基づく直観である。
 つまりどんなに論理が必要な場合でも、その「論理が必要だ」という直観そのものは論理によってのみ得られるわけではない。寧ろ論理が本当に必要なのは、何かを選び取って困窮した時だけであり、最初に何かを選び取ることを誘引するものの大半は直観であり、その直観とは経験と記憶と、その選択をすることをなす人間の資質とか性格とかをも含めた行動パターンとか傾向性とかによる場合が殆どである。
 しかしその行動の背後には何か特別の事情があるのではないか、とか「本当はこれこれこういう行動こそが真に正しいのではないか」というような考えに行きがちなのが人間の思惟の自然、つまり思考傾向であるとも言える。竹田は「意味とエロス」においてフッサールはそういう真理希求型の人間の思考傾向を突き詰めたのだ、と捉える。やや図式的な認識であるが敢えてそれを採用してみると20世紀以降に多大な影響を与えた二人の哲学者に関して次のような捉え方が出来るのではないか?

フッサール
 生理的自然による行動(つまり非意図的な)や判断全体を反省した
ウィトゲンシュタイン
 思惟の自然による行動(つまり意図的な)や判断全体(認識)を反省した
 
 やや強引な捉え方であることは敢えて承知でこういう図式を私なりに考えたのには訳がある。
 フッサールは知覚とか知覚による世界認識とかを中心に考えたので、言語論という観点から見れば自己にとっての世界と他者にとっての世界が分離するところと合一するところの接点に常に気を遣っている。だから彼の哲学においては殆ど価値システム論的な装いは皆無である。そういうところが、例えば彼にとっても先人のカントとの一番の違いである。しかしそれ故にこそ寧ろ現出させられる主張には押し付けがない分、より価値システム論的な主張、つまり彷彿させる思念という意味ではフッサールこそ倫理的哲学者であると言える。知覚とか信念といった事項の洞察から結果論的に我々が汲み取るべきものとは、寧ろ社会ゲームとしての責任倫理に他ならない。
 それに対してウィトゲンシュタインは殆ど生理的なことに関しては触れていない。確かに「考察」では生理的能力、運動能力のことについて触れているが、それはフッサールの「経験と判断」ほどのアプローチでもなく、寧ろ個人的能力の差といったレヴェルからの言及である。その意味ではウィトゲンシュタインの論理にはソシュールの言うラングとかデリダの言う差延といった事柄との相同性に方が大きいと言えるだろう。(デリダとの絡みではヘンリー・ステーテンが「ウィトゲンシュイタンとデリダ」というテクストを発表している。)ウィトゲンシュタインは初期から中期「考察」期から後期に至るまで一貫して当初世界の限界と考えていたことを発展させ、社会的記号であるとか意思疎通の際の認識とか了解とかが主に論じられている。だからこそ逆に彼の哲学からは今日、人間の知覚能力であるとか言語使用を巡る脳科学的認識からの洞察が求められているという現実を我々はそこから汲み取ることが主張としては、つまりメッセージ性としては容易である。ウィトゲンシュタインは沢山のヒントを我々に残してくれたのだ。
 つまり哲学が固有のメッセージ足り得る可能性というのは、その方法論的な使用とか(そういう部分では純粋論理学とか数学の方がずっと有用である。)、分析内容そのものではなく、そういう方法とか内容を選択した哲学者の考えを生んだ動機について思いを馳せることにおいて価値システム的認識の面白さの中にある、と私は考える。そのような意味では哲学者は、言葉を使用した、あるいは記号を使用した芸術家であると言える。それは文学がそうであるような意味と共通する部分もあるが、非文学的なことにおいてもそうなのである。(世の中には文学的センスの豊富なサルトルやベルグソンのような哲学者ではない野暮ったいのだがそれにも関わらず偉大な哲学者は沢山いる。例えばカント、フッサールなどはその典型である。)
 そして本章ではセンスとかセンスのなさとかに関係のない部分から哲学全体を覆う問題点について考えてみたい。
 その一番の問題点とは真理というものの存在、そして本質規定の問題である。
 まず真理というと、一般的にはそれが真理だと分かればなるほど皆納得するが、一見分かりやすそうに見えてその実厄介な事項というのが世界には沢山あり、ある一定の手続きを経た後に初めて明確化するものというニュアンスがありはしないだろうか?それに対して本質とは我々が一々説明したり、検証したり、論証したりしなくても、予め我々が正しいと感じ、信じて疑わないものというニュアンスがありはしないだろうか?その中には明らかに正しいこともあるだろうし、一見正しいと思われる本質的なことのようでいて、注意してかからなくてならないこともあるだろう。
 その大きな問題へと取り掛かる前に日本の哲学界におけるフッサールとウィトゲンシュタインの解釈を巡る現状について少し触れておこうと思う。フッサールの研究あるいは現代的視座における解釈として優れた論客の一人は度々登場願った竹田青嗣であり、もう一人は斎藤慶典である。竹田は彼が主張する欲望(この概念はバタイユから強く彼が喚起されたもののように見受けられるが、身体という概念と深く結びつき、例えばヒラリー・パットナムを代表とするような現代英米系哲学<パットナムは米国人>が身体概念を余り重視していないということの批判として注目すべき考え方であると思う。)というレヴェルからフッサールを捉えたと思われるが、その捉え方が正しいとすると、竹田同様斎藤はハイデッガーを大きく取り上げているが、斎藤は竹田よりカントとレヴィナスに関しては深く掘り下げており、その点ではカントやそれ以外の近代古典哲学からの継承者としてのフッサール像という観点からの解釈という意味ではやや軍配が上がると言えるだろう。しかも斎藤は全体性と無限からもレヴィナスだけではなくフッサールを捉えている。
 しかしウィトゲンシュタインという哲学者の現代の栄華は殆ど自然科学界では絶大なものがあり、それはもう一人の巨頭ゲーデルといい勝負である。そしてウィトゲンシュタイン哲学の本質的継承者たちは日常言語学派よりも寧ろ脳科学者たちであると言っても過言ではない。何故そうなのだろうか?それは恐らく現代脳科学のアプローチの仕方に英国の哲学者デヴィッド・ヒューム的視点と相同のものをウィトゲンシュタインが携えていたし、そのことに関してウィトゲンシュタインが覚醒してもいた、ということに起因するだろう。
 ヒュームとウィトゲンシュタインの共通性とは、世界が我々の認識によって支配されている、という考え方である。要するに「世界とは我々による世界の見え方以外の何物でもない<ウィトゲンシュタインはそのことを明確化するために映像という言葉を使用している。>」ということである。その考え方は一見相反する資質にも思われる知覚哲学者でもあったフッサールとも共通する。何故ならフッサールは超越論的主観性とか間主観性といった概念の提出によって寧ろ客観的世界への信念の不動性にアンチを唱えたからだ。
 フッサールとウィトゲンシュタインの両巨頭。この二つの流れの中でも際立った興味深い現象とは、心理学という分野が極めて現代ではウィトゲンシュタインを高く評価する脳科学あるいは神経科学(尤も脳科学者の中では茂木健一郎は極めてフッサールにも大きく加担している。)に接近しており、事実、脳科学者たちは挙ってウィトゲンシュタインやそれより古い世代ではデカルトを大きく取り上げているが、彼等にとってそれ以外の論及性として考慮すべき対象者は殆どが心理学者たちである。この点竹田を初めとする一派(例えば西研)は、心理学者たちに関して大きくは取り上げていない。寧ろその分彼等はその多くを社会学者や精神分析畑の先達を大きく取り上げる。
 心理学と精神分析は一面では非常に似通ったところもあるが、実際そのアプローチの仕方は大きく異なっている。精神分析が人間の病理的状態を基準としつつ身体全体を常に考慮するのに対して(それは臨床精神医学的見地から)、心理学では常に正常な認識を人間が有しているという認識の下、出来るだけ自然科学的な統計値を算出し、専門分野毎に異なった数値を引き出し、他の分野に対して資料的価値を有することを目的としている分、脳科学と歩調を合わせることに躊躇がない、あるいは脳科学からも大いに重宝がられている。それは要するに臨床的な見地から発達してきた精神分析と最も異なる考え方である。
 サルトルは精神分析にも詳しく(ある意味では継承意識を有しているが無意識に関しては懐疑的であった。)、ワトソンを初めとする心理学からジャネを初めとする実験心理学にも精通していた。しかし基本的にサルトルは殆ど身体を起源とする欲望というレヴェルのアプローチには関心があるようには見えず、寧ろその捉え方は心理的な面に限られ、その点ではメルロ・ポンティーの方に軍配が上がるだろう。要するにサルトルにとって哲学は彼固有の文学的な精神を醸成するのに役立つ思想だったのだ、と言える。サルトルにとっては哲学と文学と政治的思想の違いというものはあまり意味がないものなのだ。
 しかしその点ハイデッガーには基本的には文学や政治という観点は他の哲学者や思想家(例えばラッセルとかベルグソンとかバタイユ)ほども大きく拘っている気配は薄い。しかしそれは恐らく資質論的な面からであって、元々神学畑から哲学へ移行した彼は寧ろ存在に対する解釈をモットーとしていた、と捉えることが出来るだろう。そして私が見るハイデッガーは寧ろオーソドックスな哲学者だった。サルトルが気配の哲学者であると先に言ったが、ハイデッガーは「存在の気遣い」という表現を多用している。これはサルトルの気配とも微妙に違う。サルトルの気配には常に視線が感じられる。その意味でも極めて心理学的、犯罪病理学的である。しかしハイデッガーの気遣いとはもっと存在意義に忠実な概念把握である。サルトルが意識を語りながら、認識とか理解とか把握といった事実とそれほど大きな峻別を感じさせないのに比べると、ハイデッガーには認識と現存在との間には多大きな溝があった。サルトルが感知、感得の視線哲学であるとすれば、ハイデッガーは存在と時間の哲学者であったと言えるだろう。そういった資質は明らかにフッサールから継承されている。しかもハイデッガーは幾分東洋的な無という観念もサルトル以上に大きかったと思う。サルトルも無というものを大きく取り上げたが、その無は東洋的な無ではない。あくまで西欧哲学の有に対する無である。不在性である(サルトルの方を東洋的な哲学との相同性を考えている人も大勢いる。例えば森本哲郎氏などであるが、これは感性的な受け取り方の違いであると言ってもいいだろう)。
 サルトルにとって時間とは状況と不可分なものである。それは彼が後期になればなるほど鮮明化してゆく。しかしハイデッガーには状況という把握は「存在と時間」には感じられるが、それ以外のテクストから大きくは感じられない。彼にとって克服すべき対象でもあった形而上学は実は彼の中で拭い難くこびり付いた灰汁のようなものだったのかも知れない。だからこそ彼にとって時間とか存在とかは形而上学からの脱却を目指しつつも、前提条件として立ちはだかっていたのである。そういった事情が彼をして東洋的な発想を推し進めさせたと捉えることも可能である(これは私のハイデッガーに対して抱くクオリアである)。
 しかし形而上学というレヴェルから言えばウィトゲンシュタインは恐らくハイデッガーやラッセル以上に資質論的には大きく引きずっていながらも、哲学全体の主張ではハイデッガーやラッセルよりもずっと払拭されている。そういうところでは同じユダヤ系のフロイトとも似ている。二人ともオーストリア人だったが、ユダヤ人でありながらレヴィナスのようなユダヤ人色は払拭させている。その点ではスピノザやクリプキにも同じことが言えるだろう。要するにウィトゲンシュタインにとって哲学することは常に世界の限界を知ることと、言語とか意思疎通において相互に了解されている状況把握と社会ゲームにおいて、内的には感性的には熟知されているにも関わらずどこか鮮明には言語化することが難しい、つまり当然の如く我々が日常的場面で受け容れている現実認識のレヴェルの事実への覚知であった。
 フッサールは繰り返すが名文家ではなかったし、寧ろ悪文家である。だから彼のテクストを読む限り竹田のような名解釈家が登場したことで、新たな相貌で再解釈されることが期待出来るのだが、私には竹田ほど明確にフッサールが全てを語っていたとも思われないのだ。しかし少なくとも現状ではフッサールをもう一度定義し直すと、「それが一番客観的で正しいと思われるという信念はどこから来るものなのか」を問うた哲学者である、と言ってもよいだろう。そのスタンスの取り方は、ウィトゲンシュタインがそもそも世界という事態を「<在る>もの」として捉えるその視点に対する懐疑によって成立した哲学スタンスの取り方なのだ。しかし問題なのはフッサールとウィトゲンシュタイン、この二人のスタンスの採り方のどちらが正しいかということではない。そもそもウィトゲンシュタインにとって世界とは認識が生み出したものでしかないという意味では極めて狭い、ある決定的に限界のあるどのような社会成員にとっても個人的なものでしかないのだから。つまりフッサールは仮に何かの判断や考え方が正しいとしても、それは存在妥当ということから常に欲望と身体と知覚とに追われ続けている人間の翻弄(ややレヴィナス的表現だが)によって引き起こされる認識にしか過ぎないのだから、その論点が志向する先はウィトゲンシュタインの限界と殆ど相同である。その意味ではフッサールもウィトゲンシュタインも共に20世紀以降の哲学の大まかに捉えられる幾つかの流れにおいて二大巨頭として立ちはだかっているという現実は、彼等以上の偉大な21世紀の哲学者の登場を待たねば払拭され得ないとは言えるだろう。
 ここで二人の哲学者を大まかに定義しておこう。
 フッサールは正しいと思われる信念とは何かを考えた。ウィトゲンシュタインは問うこともなく我々が了解していることとは何かを考えた。そしてこの二つの哲学に共通するものとは認識とその使用である。
 このことはフッサールが「経験と判断」でも述べていることなのだが、我々は決して未知であるその場その時の一期一会をじっくりと感慨に耽って堪能してばかりはいられないということだ。我々は絶えず未知の事項を既知の事項に変換しながら生活している。そうでなければ身が持たないからだ。脳科学でもしきりに採用されだしてきたクオリアも、また一々その独自性に着目していては社会機能の維持自体に支障を来すことにすら繋がるだろう。それくらいクオリアとは疲れるものでもあるのだ。
 また竹田が言うように彼岸に位置する身体的存在であるという我々の欲望と不可分なこの実存とは、しかし一方では客観的に、つまり自然科学的に認識する必要がある。例えば私が原因不明の腹痛に悩まされて、医師の処方を仰ぐ時、私はこの自分の痛みは決して他者には伝えられないということを知りながらも、どうにかその事実を伝えようと医師という私のこの痛みの感覚に関しては永遠に伝えられない他者に対して、そういう他者にも理解出来るような表現を試みて私のこの痛みを伝えようと欲するだろう。つまりどのように固有の個別の実存を生きる我々も、そのことを他者に伝えるという行為を選択する限り、その伝え方は客観的視点と認識を採用せざるを得ないのだ。またそういう現実自体を認識する場合ですら、我々はやはり認識とその使用に依拠せざるを得ない。
 つまり身体的感受という現実、欲望という現実と、未知であることの喜びをどこにでもあるありふれた日常へと変換する惰性とは常に隣り合わせのものなのだ。一方で他者に伝えられない悲劇を感じながら、誰しもが私の腹痛と隣で私と同じように医師の適切な処方を期待して病院の待合室で診察の順番を待つ私がその名前も呼ばれるまで名前すら知らない他人の患者も、恐らく自分と同じように苦しんでいるに違いないという考えは殆ど何の矛盾もなく共存しているのだ。
 認識方法としての客観的真理という現実は、それが幻想であるかも知れないという認識を抱きつつも、ではそれなしに生活出来るのか、と問えばどのような個人でさえ、つまり客観的真理などないのだ、という思想の持ち主さえ「そんなことは不可能だ。」と答えるだろう。しかしだからこそ幾つかの哲学では客観的真理とか本質規定の危うさを指摘してきた、とも言えるのだ。つまりそれは本質とは何物かの背後に隠れているという不可避的な考えに対するアンチ・テーゼとしてである。
 自然はどのような個々の現象に対しても、あるいはどのような種類の生命に対しても、えこ贔屓することはない。その意味ではどのような生命種の賢明なる行動よりも、どのような偉大な人間による公平なる判断よりも遥かに公平である。そしてそれに加えて人間に固有の一切の情というものさえ介入することはない。台風はどのような素晴らしい個人に対しても殺人犯に対しても同様に脅威となり得る。それは人間に固有の理性とか良心とか責任とかの人間学的判断を一切受け付けないということでもある。
 しかし人間のそういった種種の判断を形作るものとは紛れもなく脳の判断であり、それは個体自身が有する機械論的なメカニズムである。そのことを幾分皮肉的かつ揶揄的な表現で科学哲学者であるダニエル・デネットは「脳もまた、心臓や肺や腎臓などと同様に、その力については結局のところ機械的説明ですっかり片のつく器官だという意味では、一種の機械である。」(「解明される意識」青土社刊、山口泰司訳、48ページより)と述べている。確かにそうである。我々の脳は機械であるし、同時に祖先から受け継いだ遺伝的形質、性質の全てを背負う遺伝暗号の織物に過ぎない。そしてそれらは人間が固有の思考の動物であれ、そうでないにせよ、全て自然というある種の冷酷な現実に帰するものである。そしてそのことは竹田が「意味とエロス」で次のように述べている我々の実存を齎している言述に顕著に表されている。
「わたしがエロス性という言葉で示したいのは、<世界>が、<私>にとって単なる実在やその関係としてではなく、快苦、美醜、倫理性の価値関係として、つまり、つねにすでに色づけされて現われてくるようなそういった<私>と<世界>の関係上の原理にほかならない。この原理は、人間の「経験」が必ず<意味>として現われ出ることの根本的な基礎をなしているとともに、<実存>という概念のいちばん重要な土台でもある。」(同書、ちくま学芸文庫版124ページより)
 しかしこのような考え方は一人竹田ばかりではない。竹田がこのテクストを書く(1993年)ことより更に30年前に旧フランス領インドシナ生まれの哲学者ミシェル・アンリは次のように述べている。(「現出の本質」下 北村晋、阿部文彦訳、法政大学出版局刊)
「感じるという作用の気分とは、感じるという作用が<自ら自己自身を感じること>であり、感じるという作用の情感性なのだ。ひとり情感性だけが、感性をしてそれが在るところのもので在ることを可能ならしめる。すなわち、自らを触発するものの冷徹な把握や無関心然とした静観などではなく、ひとつの実存[現実存在]であることを、つまり、触発されつつもそれ自身の内に[それ自身に即して]まとまり自ら自分自身を感得しつつ自分を触発するものを被り引き受けているようなひとつの生の濃密さであることを、可能ならしめる。それにしても、把握の冷徹さ、静観の無関心さ、たとえば情感的気分として、感性的に属し感性を規定している。それらは、それ自身において情感的なものとして成し遂げられる際の具体的諸様相なのである。」(679ページより)「世界がまさしくわれわれに与えられうるのは、われわれの感情をかきたてたりわれわれを衝き動かしたりするものとしてだけなのだ。世界による超越の触発は<自己‐触発>と情感性とを自らの条件としているからである。感性とはまさしく、その本質の点で情感的なものとして感性自身における超越である。感性の本質は情感性の内に見出される。」(680ページより)
 ここには徹底した本質の背後性の否定と、現出自体、情感という具体的実存自体が本質であり、それ以外に本質などというものは在り得ないという主張がある。
 しかし我々は今一度アンリがこのような主張を行うことの背景を知るには、大まかに西欧哲学の形而上学の伝統を知っておく必要がある。まず大熊正(応用科学者出身の数学者)の述定を見てみよう。
「ソクラテスが当時のアテネの民主政体や、オリンポスの神々への信仰をもとにした価値観に対して異説をたて、民衆を惑わすものとして自殺を命じられたのはよく知られているところです。ただし、ソクラテスの議論の対象は主に、「正義とは何か」とか、「どのような政治体制が望ましいか」というような、どちらかというと価値の体系の哲学の問題であって、自然の機構の説明とか、真理の追求とかの問題には、あまり興味がなかったようです。
「真理とは何か」を初めて考察したのはプラトンのようです。彼は絶対真、絶対善の存在を信じ、それをエピステメとよびました。ただし彼は、自分を含めた万人が正しいと信じていることでも、それが必ずしも絶対真を意味しないということを知っていました。一般に正しいと信じている認識のことばをドクサとよんで、エピステメとは区別しました。このエピステメとドクサの関係は、彼の著書「国家」の第七章の冒頭にある、有名な「洞察の比喩」で見事に表現されています。
 私たちは洞窟につながれている囚人のようなもので、外界のこと(エピステメ)は、その小さな窓からさしこむ光と、それが映す影によってしか知ることができません。安易な解釈をすればその実体とはおよそかけ離れた認識(ドクサ)に到達することもあるでしょう。外界の真のあり方を知るには、合理的な法則と真の叡智、すなわちイデーをもって、その影の意味するものを考察しなければなりません。」(「真理とは何か「考えること」を考える」講談社現代新書41~42ページより)
 つまりここで大熊によって解説されているプラトンが捉えていた世界の実相こそ、竹田がフッサールを通して顕現させようとしたこと、あるいはアンリがフッサール以上に直接的に主張していることの元凶なのだ。世界はその立ち現われている姿の背後に隠された真理に支配されている、つまりイデーというものは外観からは察することは出来ないという考えである。
 それは認識というものを原初的な発生事実とすれば確かに言えることであろう。例えば見知らぬ他者に突然道端で「ちょっとすいませんが。」と声をかけられた時私はその心の中で一瞬この人間は私に何を求めているのだろうか、と考えるであろう。しかし同時に私はその一瞬の思念によって示される全ての感情を一瞬対他的に了解される形で示しもいる筈なのだ。寧ろそういう一瞬の思念を持つことを表明する真意を隠蔽することというのは、その他者の正体を熟知しており、その他者が警戒すべき対象であると自分に言い聞かせている場合に限るのである。だからそういう意味ではイデーは内的理解とか思念という意味では確かにブラック・ボックスであるが、そのブラック・ボックスそれ自体の所有という権利主張といった側面からは我々は意外とイデーを対他的に示し得ているのである。例えば何か悲しいことがあった時他人から声をかけられるのを嫌がり「今日一日くらい私を一人にしていてくれたまえ。」と声をかけようとする他者に対して私が告げたとすると、私は確かに心の中の思念の内容までは覗いて貰いたくはないと宣言してはいるが、心の内面を自分だけに秘めておきたいという真意は伝えているのだ。
 しかしこのプラトンのイデーとか真理の背後性という考えは心理学におけるゲシュタルトという考えにまでずっと持ち越されてきているのだ。そのことに対する批判がフッサールからもメルロ・ポンティーからも提出された、というわけである。
 しかし自然科学の世界ではイデーという哲学的な思念はもっと直接的な実証性に置き換わる。例えば生物学者のジョージ・ウィリアムズを例に見てみよう。彼は次のように言っている。(「生物はなぜ進化するか」81~82ページより)
「個体数が数千以上の有性生殖の集団では、遺伝的変異がまったくないということはありそうにないので、進化生物学者がそんなことを考えていることはまずない。また、(中略)生物学者が自然選択を用いるのは、生物が、なぜ現在持っているような特徴を持っており、考え得る別の特徴をもってはいないのかを考えるときである。生物学者は、そうした特徴がすばやく進化したのか、ゆっくり進化したのかには、関心がない。したがって、自分が研究している生物の遺伝子座のうちの10パーセントが異なっていても、たったの一パーセントしか異なっていなくても、彼らにすればたいした問題ではない。いずれの場合も、長い目で見れば、その同じ状況が自然選択によって生じてくると考えているし、実際にそうした状況が起きたと考えている。生物学者が関心を持っているのは、自然選択による進化的変化ではなく、自然選択によってすでに確立している、進化的平衡である。」
 ここでウィリアムズが指摘していることは、要するに目で確認出来る法則であり、それは実存であるということである。自然科学の法則とは「今目にしているデータは何らかの偶然的なケースであるが、同じような条件さえ与えられれば、どの個体も、どの郡体も同じような変異を生み出すだろうという目測を得ることである。それは影から考えられる光の正体というよりは、光そのものがその変異の中に認められるということであり、それは実存であると同時に真理でありイデーなのだ。法則とはそういう具体的なことである。
 例えば法則ということを人間の身体を測定することで考えてみよう。ウリクト(哲学者)は自著「説明と理解」で次のように述べている。
「基本行為の成果の必要条件ないし十分条件は、その行為に先行し、筋肉活動を規制する神経の出来事(神経過程)であろう。この神経の出来事は、私がそれらを引き起こすことによって、「為し」うるようなものではない。それにもかかわらず、私が基本行為を遂行することによって、神経の出来事を生じせしめることができる。ところが、基本行為によって生じせしめられるもの、つまり神経の出来事は、その行為の直前に生じるのである。
 たとえば、基本行為の一例として、腕を上げるという行為を取り上げてよかろう。いまかりに、私の腕に起こる出来事を、だれかがなんらかのしかたで「観察」できるとし、また、私が腕が上がると、生じるはずだと考えられる神経の(一連の)出来事Nを、彼が識別しうるとする。さて、私は彼に向って、「ぼくは、自分の脳にNという出来事を生じせしめることができる。ごらん。」といい、そして腕を上げる。彼は、私の脳に起こることを観察し、Nが起ったのを見る。しかし、彼が、私の為していることも観察するなら、私の行為が、Nよりほんのわずか後に生じることを知るだろう。厳密にいえば、いま彼が観察しているのは、Nの生起の直後に実現した、私の行為の成果、つまり私の腕が上がることである。」(産業図書社刊、99~100ページより)
 我々は例えばつい脳内のニューロンの発火現象そのものを、その時腕を上げたから、そういう発火になると考えがちであるが、実際はウリクトの指摘しているように、腕を上げるように身体的に意識することに誘引されて、脳内の発火が同時的に起き、その直後に腕が上がるのだろう。
 このことを憤りという内的な感情に置き換えて考えてみよう。
 我々はつい何か挑発的なことを言われたから憤ると考えるが、挑発的なことを言われる状況というものとは言葉が発せられる以前に既に我々に何らかの構えを構成している筈である。そこで我々はそういう状況において発せられた言葉の挑発性に対してまず身体的な拒否反応を示すのだ。然る後、その事態に対して覚醒し、認識レヴェルで憤りを抱くのだ。感情は身体的情動の結果である、とアントニオ・ダマシオ(ポルトガル人の現代を代表する神経学者)は考えている。
 しかし我々はつい憤りそれ自体によって身体的な情動反応を示すと考えがちである。しかし少なくとも脳科学ではそういう風には捉えられてはいない。
 何かを言われて感情的に憤るということの順序は唯心論的な認識であるし、逆に人間の脳の発火現象をウリクトの思考実験のように出来ると仮定して、発火したから憤りを感じるのだ、と捉えるのなら完全なる機能主義である。しかし恐らくそのどちらも厳密には正しくはなく、唯一の正しい答えとは、脳内のニューロンの発火現象と思われる血流とかニューロンの変化は、憤りという感情を持つことと同時的であり、それ以前に身体的な情動を形作っており、その情動状態とは、要するに構えているという前哨戦がある筈なのだ。
 だから憤りと脳内の発火現象には先後関係はないだろう。要するに憤りを持つことが脳内のニューロンのある発火現象なのであり、脳内のニューロンの「ある発火現象」は、そのまま内面的には我々に抱く憤りそのものなのだ。
 ウリクトの例の場合、脳内のニューロンは手を上げる意志を持つということを示してから手を上げるという時間的なずれを示している。しかし憤りとはそういう行為とは違う。手を持つことは主体的な行為だ。しかし憤りを持つことは竹田の表現を借りれば身体という実存(竹田によるとその身体的実存には<欲望>という事実がかね備わっているのだが)から「告げ知らされる」ことに他ならない。恐らくその憤りを感情として認識した直後にウリクトの例証するようなレヴェルの行為を我々は無意識に選択しているのだろうと思われる。例えば挑発的なことを言ったその者に対して別の挑発的なことを言い返すとか、怒りの表情を浮かべて自分だけ部屋を出てゆく、とかの行為、あるいは苦虫を噛み締めてじっと耐えるとかの行為に我々は移行するだろう。そして何か手を上げるとか部屋に出てゆくために立ち上がるとかの行為が意志的に選択されるに至って初めてウリクトの思考実験によって示されるような時間的なずれが体現されるであろう。しかしウリクトの言うずれというものも殆ど同時的なものであろうとも想像がつく。
 唯心論と機能主義はただ前者を内在主義、後者を外在主義的視点を採用している、という違いからだけ考えた方がいいかも知れない。しかし最も不思議なことというのは、我々はそのように二つの視点を行ったり、来たりするという人間の思考の事実である。
 しかしこと情動と感情という定義からすると、脳科学的には明確にダマシオの言うことによると、まず身体的に「何らかの感情」を誘発するような構えとしての<情動>が発動され、それを例えばその直後「恐ろしい」とか「悔しい」とか「頭に来る<憤る>」というような感情に置き換えられるのであって、その逆ではないということなのだ。
 人間が意志的に何かする時、そこには意図がある。しかし意図は意図によって作られること(それは人間が人間の行為、つまり意図ある行動によって受動的に何かをするように仕向けられるということ)以外のことも多いだろう。雨が降り出したから洗濯物を室内に取り込むとかそういう行為の全ては意図が自然状態、自然条件によって作られることの典型である。そして意図する時、そこには人間が雨に降られて、干していた布団がずぶ濡れになることを気持ち悪いと思う心に発しているから、当然のことながら、意図は感性にも支えられている。人間の行為は感性によって支えられている。
 しかし自然はそのように思うのだろうか?自然全体はそのように意図することはない。しかし自然を構成する個々の事物、とりわけ生命は意図するという人間が持つ高次の意図はないにせよ、何らかの意志が働いているということそれ自体は否定出来ないだろう。
 例えば今日テレビでオオオニバスの葉と花を自然ドキュメンタリー番組で特集していた。アマゾン流域に生息するこの植物は大きな葉に幼児が乗っても、沈まないくらい頑丈な(大人でさえ多少葉は歪むが完全に沈みきるということはない)、周囲の縁が垂直に立ち、更に葉脈が十分発達しており、葉裏には葉脈から立派な棘が水面下に伸びていて、そのことが更にしっかりとした水面に浮かぶことに貢献している。直径2メートルにも達する大きさを持つこの植物は沼沢に生息するが、白い花を咲かせる。しかしその白い花は一日たつと萎み、再び咲き改める。しかしその時は今度は花の色は赤くなる。その間コガネムシが受粉しに降り立つが、花が閉じている間は彼等は閉じ込められる。しかし花が開くと再び彼等は飛び立つ。その時彼等の身体に付着した花粉(めしべ)が再び別の花に向う時に植物の受精に貢献するわけだ。しかし問題なのは、花の中に閉じ込められている間彼等は苦しくないのだろうか、ということだ。
 この花がこのように大きな花を水面に平に浮かぶようになるまでには幾多の生存戦略上の試行錯誤があったのだろう。そして光合成を有利にするために水面に浮かび、水中に沈みこまないで済む戦略を採用するまでの長い間に、コガネムシが受粉しに、花の中心に降り立つ行為を誘引し、再び飛び立つ時にたっぷり花粉を身体に付着させ、しかも彼等が窒息しないで再び飛び立つように仕向けることが容易に執り行えるように全部の花がなるまでには恐らく自然は、不器用で花の中にコガネムシが窒息するような具合になってしまったケースもあっただろう。しかしコガネムシの側もオオオニバスから得られる利益を有効に活用すべく、適度の長時間花の中心に閉じ込められていても尚、生存に支障が来さないように自然選択上の進化を遂げたのであろう。そうテレビの映像を見ていて思ったのだ。
 それは共利共生の例なのであろう。そういうのでなしに片利共生であるのなら、また別の戦略をコガネムシは講じたかも知れない。しかしそれくらい閉じ込められることはそれほどコガネムシにとっては何でもなかったからこそ、彼等はオオオニバス対策として別の戦略を進化させることがなかったのだろう、と見ていて思った。
 これは自然が意図するではなしに、相互の生物に対して相手の行為に対して耐え得る臨界点を見出す言わば「感性の意図」を自然選択によって形成する、ということなのではないだろうか?つまりオオオニバスの立場からすると適度にコガネムシを閉じ込めることに成功し、且つコガネムシを窒息させることなく柔らかく包み込む戦略上の強度を自然選択が彼等に付与したのだ。
 このようなケースを考慮に入れると人間にも他者に対してある程度の警戒心とか攻撃心を持ち合わせているが、同時にそれは必要最低限に抑制し、あとは適度にどのような他者に対しても寛容にしていられるように対他的な接触者としてあらゆる人間の言動を制御するように自然が人間社会に何らかの秩序を与えてきたと考えても間違いではないだろう、と思う。だから例えばさき程の例で言えば、人間は俄か雨に降られれば干し物を即座に室内に取り込むように自然に行動する。その日寝る時に湿った布団に入るのは嫌に感じるからだ。これは意図的な行為であるが、限りなく非意図的な行為に近い、つまり感性自体の意図に忠実な行為選択である。それは選択する時に他の選択肢から篩いにかけるような選択では決してない。繰り返すが人間でさえ、他の生物と同様篩いにかけるような選択行為とは、科学的洞察であるとか、意志的な重大決意の際にしか採らない。恐らく重大決意の際にも大方は自己内で決定しているが、後は逡巡と戦っているに過ぎないという場合が多いと思われる。 
 哲学者の竹田青嗣はダマシオが認識しているような自然科学的な洞察から<情動>と<感情>を殊更分離して捉えてはいない。寧ろ彼の言う欲望はダマシオが言う<情動>から<感情>へと順序を踏んでなされる身体と精神の一つの連繋プレイそのものを包括的に<欲望>と呼んでいるものと思われる。しかしこれは神経科学的な見方ではないが、決して誤った見方ではない。寧ろそういう一連の連繋プレイそのものに着眼して包括的に<欲望>と呼ぶことは我々の日常の本質を突いているとさえ言える。それが哲学者の感性というものなのに違いない。そしてその感性自体を論理的に立証して見せるところに哲学者の文章家としての意図がある。(つづく)

 付記 論文修正と作成のために休暇を頂きます。2010年正月明けに再び更新致します。(河口ミカル)

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