Tuesday, June 3, 2014

第三十三章 生活空間とBGM・資本主義/経済自由主義・社会倫理と個人の価値Part3 国家という形で落着する処に人類の限界があるのか?Ⅱ システムの鼬ごっこに於ける未来展望①

 凄く重要な事はツールやディヴァイスの進化は、その利用スキルとは切り離されているという事だ。その証拠に人類は文明の発展順に今の世界で社会インフラを進化させている訳ではない。つまりもし今アマゾン流域に住む原住民がA、B、Cと三部族居たとして、彼等が一切現代文明を知らず、即ち大型コンピューターからMS-DOSやXP、VISTAから8迄の歴史を知らずしても尚、現代のスマホ等のPDF端末やタブレット端末を利用するスキルは直ぐに教えれば覚える、習得し、或いは現代文明を熟知する現代文明圏、先進国市民達より速いスピードでそれ等を利用する事に習熟する事さえあり得るという事だ。つまり文明の発展や社会制度や法律の進化、全面戦争時代とその後の戦後秩序の形成等の歴史を一切すっ飛ばしていきなり現代の最新鋭の機器を一切の文明を知らぬ原住民に渡しても、習熟してそれ等の利便性を享受する事は充分可能だ、という事である。
 更に重要な事は現代文明自体が既に集団や組織の一員でなくても充分PC遠隔操作事件でも明らかな様に個人のスキルだけで(少なくとも天才的ハッキングスキルさえあれば)サイバーテロを通して全世界へテロを仕掛ける事さえ可能だ、という事だ。だが当然の事ながら新種のウィルスを開発する悪徳業者と結託して更に新種のウィルスへの抗体を維持し得る新機種開発メーカーがハッキングスキルを持つ天才ハッカーを採用して、その鼬ごっこは留まる処を知らないと、その現実自体を利用しようとする荒手の天才犯罪者が更に登場するという鼬ごっこも継続していってしまう。
 今日のニュースではSTAP細胞の発見自体が、或いはES細胞とTS細胞が融合してしまった結果STAP細胞という新たな万能細胞だと錯覚してしまったのではないか、と報じられていた(さてその錯覚自体が新発見へ繋がる価値のある錯覚なのかは専門家に委ねるとして)が、実はこういった功を焦る自然科学研究分野へさえ、ハッキングスキルと新種のウィルス対抗ソフト開発の鼬ごっこと同様時間との勝負となっているという現実も浮かび上がり、短期間に業績を上げないと出世コースから外されるというシヴィアな現実に直面した研究者達が写真の合成等をはじめとする行為へ無意識か意識的かは問わず心理的に誘われる事は極めて必然的な現実展開だとさえ言える。
 かつて本ブログで都市空間の連動に就いて述べたが、連動ということが研究成果の発表と、その発表の為に支払われる研究努力やその短期間での成果達成というプレッシャーが奇妙な事にも天才的個人のハッキングスキルを自己顕示欲的に匿名的な犯罪者となって世間一般、世界のマスコミに連日報道される事で充足されるナルシス的愉悦獲得欲求とまさに現代社会で連動しているとさえ言い得るのだ。
 この様な個人犯罪と研究者の成果達成プレッシャーとが社会内リアルに於いて連動してしまう、つまり時間との勝負という現代社会の必然的運命が、ツールやディヴァイス利用を通して、結局個人の幸福感の充足より、集団、組織、法人、国家等のマスそのものの利益、国家レヴェルで言えばGDP競争へのみ加担する構造を作り出し、蜥蜴の尻尾切りで一旦はゴーサインを出した研究さえ引っ込めさせ様とする理研の生き残り欲求自体も、この現代社会全体のシステム論的な鼬ごっこの一端を図らずも示してしまっているという事それ自体はパロディではなく現実なのである。
 入試ミスが相次ぐ昨今の大学入試とこのSTAP細胞発見を巡る研究者と理研という組織が取る態度とはよく似ている。もしアマゾン川流域近辺の非文明社会の原住民に直接コンピューターの歴史自体を一切教えず、ハッキングスキルを教えれば現代人よりは多少時間がかかっても、中には天才的な闇ハッカーとして暗躍し得る成員さえ登場する可能性も決してゼロではない。つまり現代社会のシステム化されたコミュニケーションのリアル自体が、個人の愉快犯的犯罪者のナルシスと実際にはモラル論的にはそうであってはならない研究者の心理とを極々接近させる様な暗黙のネットが現代社会には張り巡らされているという事を彷彿させる様な片山容疑者ケースとSTAP細胞発見のニュースであった、と後代の歴史家が叙述する日も来るかも知れない。(つづき)

Monday, March 17, 2014

第三十二章 生活空間とBGM・資本主義/経済自由主義・社会倫理と個人の価値Part2 国家という形で落着する処に人類の限界があるのか?

 国家成立以前的に、既に貨幣が使用されていたことは分かっている。そしてそれよりずっと後に法が明文化され国家が成立したとされる。中国では国家起源は古く、朝鮮半島もそうであるが、日本は紀元後にやっと国家が成立した。
 しかし我々は昨今ウクライナでのクリミア市民共和国のロシア編入を巡るロシア対西側諸国の対立を巡って国家というもの自体の矛盾をひしひしと感じ取っている。それは一体本当に全ての世界市民を幸福にするものなのか、という形で。
 今もしタイムマシンに乗って国家成立以前の取り敢えず貨幣経済自体が成立していた(と言っても今の様なグローバル経済ではない)時代に我々が行ったとして、そこで我々が使用している携帯電話やらスマホ等のPDF端末とかタブレット端末をその時代の人達に渡して使い方だけを教えれば或いは国家等成立しなくても何とか経済活動だけで人類はその後の歴史を構築し得るだろうか?
 不可能だろう、という意見も出るかも知れない。その根拠はそもそもそこではグローバル経済用語として英語は通用するというわけではないし、第一各部族毎に異なっているから、そして中には既に文字を使用している部族もあるだろうが、それはない部族も多いだろうから、文字を送信するという行為自体が成立し得ないだろう、というものであろう。
 しかしもしそこである程度日常会話的に送信しやすい文字のみを教えてそれを端末に記憶させて絵文字を送信する様な仕組みを我々が提供してやりさえすれば、恐らくたちまちの内にその当時の世界中に端末利用が広まるに違いない。その時代では各部族固有の語とピジンが各エリア毎に異なった形で使用されていたのだろうと思われるが、それを一旦反故にしてでも、もっと人類全体に共通の命題はあった筈であり、それを絵文字化することさえ教えればかなりの程度で国家というものを成立させないで、と言うことは国家が強いる民族性とは無縁に世界が運営されていっている可能性はあるのだ。
 文字送信を記号送信という風に置き換えれば、何も日本語だとか英語だとかハングルだとかロシア語だとか中国語だとかの固有の語学に纏わるアウラ等無しに人類の共通資産にし得る。
 今現在のリアルの我々にとっての世界とは当然そういった歴史を辿らずに、国家毎に結集するという部族ではない民族を形成し、やがて民族間の抗争に入り、世界戦争へと至るという歴史を辿ってきた。そのプロセスで武器が発明され、車が発明され、それが後に核兵器や個人携帯のものとして拳銃等へと進化し、車は自家用車となって個人に所有される様になっていった。しかしその個人所有(それは当然携帯電話やPC端末所有というものも現在では含まれる)という形へなる迄は個人では一切自由の利かない大いなる各エリア毎の統制的秩序があり、日本で言えば士農工商の身分制度とか関所等のインフラが厳然と存在していたのだ。
 そして明治期を日本は迎え、脱亜入欧をして、世界戦争へと参戦していった(それ以前に日清日露戦争の参戦とその勝利があった)。結局そういう形で人類は広島と長崎に原子爆弾を投下されるという悲劇無しには現在の平和国家を成立させることが出来なかったし、ホロコーストという忌まわしい過去の記憶無しに、現代の国際的な人権意識が発生することもなかったというのがリアルな世界史の事実である。
つまり我々はどうやら長い歴史を通じて、国家をまず成立させることで社会秩序とか文化とか伝統を作って継承してきたのだし、その国家統一の途上でも大いなる分裂とか、日本では戦国時代とかアメリカでは南北戦争とかを通過してやっと全国的な統一を果たしてきたらしいのである。と言うことは現在の様に世界中にウェブサイトが張り巡らされる形で世界の共時性を意識したりして、リアルタイムで世界中の出来事が報道されることを当たり前にして、何処の国で起きる事でも必ず世界中の審判を仰ぐというリアル自体がまず国家統一に至る迄の大いなる民族内部での内乱や抗争に明け暮れ、その後に今度は国家対国家間の世界戦争へと至って行き、その末の被爆とかホロコーストといった悲劇を体験して初めて世界平和や世界秩序の安定というものを意識し始めたという訳である。
 と言うことは即ち、我々は結局国家というものを否定することは出来ないのだろうか?と言うより国家へと落着するしか全ての集団とは統一的には成立し得ないのだろうか?そして民族とは国家と共に成立していく経路しかあり得ないのだろうか?それ等三つの問いが産出される様に思われるのだ。
 つまり今でも頻繁に続出するレイシズムでもナショナリズムでもエスノセントリズムでもヘイトスピーチでも、とどのつまり国家間の軋轢や衝突、相互不理解、相互誤解に端を発する現象である。従って国家という体裁を世界中で全ての国が取っている限り、真の意味でグローバルでなどあり得ない世界しか実現し得ない。何故なら今現在のグローバリズムとは完全にアメリカがリーダーであると提唱されているものの事を指すに過ぎないからである。しかし事実上中国もロシアもイスラム諸国も事実上それを安易には容認していない。これは決定的な真実である。
 従って現在の世界とはあくまで体裁上では国家とそこへの帰属を前提にした世界市民性なのであり、何処の国でもかつて提唱されたエスペラント語の様なものを使用しようと言う風にはならないし、恐らくそれは未来永劫そうであろう。
 では何故そういう風にある程度の民族集団の纏まりへと人類は文化伝統的にも分岐していったのだろうか?恐らくそれは、一つは脳神経的なネットワークの在り方と似た構造で人類は分岐していったというものである。例えば記憶とはそれぞれ自分自身の生きてきた時代のそれぞれの枠を与えられて記憶されている様に思われる。学校時代の学校で起きたこと、家庭内で起きたこと、家にも学校にも居ない別の場所で在った事等の様に。そしてそこに対人関係が加わる。其処で似た記憶同士が連結するということはあり得る。
 これが要するに脳内の記憶の時間論的な相互連絡的なネットとなっていく可能性はある一つの仮説である。これが人類の共時的なグループでもあり得るとしたら、要するに似た考え方とか、狩猟方法とかで纏まって集団作業をする内に強大な部族となって、それが国家へと至る様な道筋を構成していった、というものである。似たアイディアを持つということはツール利用に拠って示されていたであろう。そして非常に親密な外交を持つ国家同士とは、共通利害で結びつき、要するに相互に欠如を補完し合う形で進化していく。向うがこちらの武器を求めていれば、貨幣を鋳造する為に必要な銅を入手したいので、交換し、其処で貨幣が鋳造されれば、それを交易では双方の国家で使用するという様に。
 脳神経細胞的なネットワークで各成員同士が結束することで徐々に階層的秩序が構成され、それが国家へと発展していったとまず考えられるのである。(つづき)   付記 しかし重要なことは国家毎に人口もスケールも著しく異なり、従ってどれくらいの人口が理想的国家であるかということは、恣意的であり、何か法則的なことは人類史的にも無いということである。この点は次回考えてみる。(Michel Kawaguchi)

Monday, March 3, 2014

第三十一章 生活空間とBGM・資本主義/経済自由主義・社会倫理と個人の価値Part1

 現代社会の都市空間はある程度意図的に作られている。全てのインフラが意図と目的を持っている。従ってその都市空間で快適に生活する為には、その個々の時代に於ける社会全体の意図を反映している都市空間のインフラを利用していかなければいけない。
 ATM全般を巧く使いこなさなければ生活していくことは困難だし、PC端末でもPDF端末でもその利用を滞りなく履行出来なければ様々な情報発信から受信、色々な事の申し込みも出来ない様になっている。そういった意味では神経学的な協働性を無視して現代の生活空間を生き抜くことは出来ない。つまりあるマナーで良かったことは、時代の変化と共に次第にマナーの善悪も変化していき、その時代と共に移行しつつあるリアルに逆らうことは出来ない。あらゆる差別語とされた語彙を気軽に使用することは既に出来なくなっているし、生活空間に様々なユニヴァーサルデザインをあしらっていることを否定することも出来ない。
 一つ大きく今迄ずっと変わらなかったものとは、大型スーパー等で使用されるBGMであろう。銀行や郵便局等で使用されるミューザック(Muzac)と同様大型スーパーでは売り場が日常食品売り場であるなら必ずと言っていい程1920~1930年代のディキシーランドジャズやジョージ・ガーシュウィンのチューンを利用している。そういった売り場で1960年代のロックの名曲や反戦フォークの名曲(例えば『花がどこへ行った?』や『風に吹かれて』等の)をかけていることは少ない。それは偶然ではなく、そういう風に仕掛けられているのだ。デパートが出来て全盛期であった時代の名残から、そういう売り場では販売促進、消費者へ消費を気持ち良く促す仕組みとしてそういった選曲が為されているのだ。
 しかし同時に我々の感性はそういった売り場でのBGMの選曲が恣意的であるから、全く違う音楽を聴きたいと迄は通常思わない。何故なら全てのTPOということを考慮に入れる処があるからだ。だから本質的にはどうしてもディキシーランドジャズやガーシュウィン等よりジミヘンやジャニス、ドアーズが聴きたければ、それはCDやウェブサイトからYoutube等を通してダウンロードすればいいと考えているのだ。
 これはある部分では我々がパブリックスペースとプライヴェートスペース、パブリックタイムとプライヴェートタイムという認識を持っている証拠である。
 我々は臨床精神医学的な解析も恐らく可能である様な精神安定維持の為の知恵と工夫を個人でも持っている。そして大型スーパーの売り場でそういう音楽を耳にすれば、そのBGM選曲をする人の意図を理解し、汲む様に脳が働くのである。そしてそういったTPO的な意図を恣意的であるけれど、悪意であるとは受け取らない様に主体的に心がける様にも脳が働くのだ。
 しかしそれとプライヴェートに聴く音楽、聴いて感動出来る音楽は異なっていていいのだし、マーチの様な曲が相応しい式典の時にムーディーなジャズが流れていれば、それがアイロニーとかギャグとかパロディ的意図以外なら、相応しくない、場違いであるとそう受け取る感性も持っている。
 このことは言ってみれば、感性というものが自分自身に拠る完全チョイスということと、そうではなくパブリックな状況で相応しいものとを明確に区別することが誰しも可能だということを意味している。これは神経生理学的な協働性とも言える。又臨床精神医学的な協力意図でもある。これはつまり個人の価値とはそれ自体を社会や他人から強制的に禁止されない限り(この条件は絶対的に重要であり必要であるが)、決して何もかもその個人の価値に公的なインフラが従っていなくても、その部分では進んで協力し、又その様にプライヴァシーとパブリシティとを分けておくということに不快感よりは、進んで協力する部分も我々にはある、ということを意味している。
 しかしそれはあくまで個人の価値を否定されない限りであることは重要であるが、それでもそのインフラの持つ様相が余りにも何時迄経っても変わり映えがしない侭であるなら、少しはリニューワルすべきではないかとか、模様替えをすべきではないかと感じる感性も持っている。だからこそ時々どんな店でも新装開店をするものだし、それを利用者や消費者、購買者や来客は希望していることを経営者達も知っていて、それを実践するのだ。
 これらの社会インフラの時々行われる模様替えという行為は、当然食品売り場でのBGMでも行われるだろうし、編曲に拠っては過激なメッセージの歌曲でも徐々に流される様になっていくということは大いにあり得る。そしてその際にはかなり重要なこととしてその流される場所と場所の持つ意図とか状況に即した編曲が必要だということである。
 知覚生理学的、神経生理学的な心地良さを極端に逸脱したことはオーディトリー的にもヴィジュアル的にも我々は決して望まない。これは確かである。余りにもその場その状況に相応しくない色彩や物質、或いは生き物(例えば一般的にギャラリーや美術館にはこれを持ち込むことは禁止されている)、大音量の音楽や聴いていてその場に相応しいとは思えないと誰しもから感じられると予想されるものは忌避されるということは絶対的に言えている。
 だからこそ逆に批評的な美学からすれば我々の日常的感性とは極めて多くの悪しき制約をそういったTPO認識、それはかなりの度合いで民族国家モラルとか時代性に加担しているし、それらに制約を受けているものだが、そのステレオタイプへ謀反を起こしたいという気分にもなるし、それをある程度声高に叫ぶ必要性を思想的批評的に持つこともあり得る。そしてある部分ではどういう時には体制的なTPO認識に従い、どういう時にはそういった固定化されたTPOに対して無思考的だと批判すべきかという個人の価値判断とがどう拮抗すべきかということへの個人毎に持たれる信念や信条というものが必要となってくるとも言い得るのだ(しかし価値ということ自体は別ブログである『価値のメカニズム』で言及していくつもりである)。
 唯今回の論述で重要なこととは、我々は知覚生理学的、神経生理学的な精神神経の安定を常に誰しもが望んでおり、そういった外的なインフラから多大の精神神経的な影響を受けるということもよく知っていて、ある部分ではどんなに反体制的な人間でもその都市空間や生活空間での公的な意図へ協力する部分があり、だからこそ逆に個人的な価値としてはそれらとは一切そりの合わない、そしてそれら全てのインフラの持つ存在理由を否定する様な過激なものを嗜好するということもしばしばあるのだ。そしてこの様に公的制約と個人の選択の自由を使い分けることで、却って精神の安定と、神経学的な平衡を維持しているということを誰しも知っているのだ。
 つまり却って反抗したり抵抗したりする為には積極的に否定する前提としてのインフラからの制約を必要とするということである。従って最初から余りにも野放図に全てが許されているというインフラの状況では却って保守的な嗜好というものが個人の価値としても芽生えてしまうということも充分あり得るとは言えるのだ。
 勿論それはあくまで外界の知覚情報に左右される我々自身の内実的な真理として言っているのであり、基本的に雁字搦めの都市空間や生活空間の荷重なる制約、つまり商売をするにも何をするにも全て決められているということを我々が望んでいる訳ではないとは言い得ることであるのだが。

Tuesday, February 11, 2014

第三十章 インスタレーションとコラージュ・モンタージュからアプリの画面遷移へ/アルペン競技やスノボーの連動とノルディック競技の鍛錬に就いて

 二十世紀のアートで重要なメソッドにインスタレーションがあるが、この方法論の背景には広場へアーティストが飛び出た、つまりアトリエやスタジオに籠っているばかりが能ではないと気付いたことがある。しかもそのモティヴェーションは印象派の持つアウトドア性と本質的に違った。印象派は画架を置き、そこにキャンヴァスを立て掛け、タブローを外光の下で制作することだったが、二十世紀のアーティストは広場全体をカンヴァスに見立てた。要するに広場全体にイメージを展開させること、それは広場自体をタブローの支持体とすることを選び取ったということだ。彼等は幾分彫刻家を憧れていた。しかし画家に拠って牽引された広場アートのムーヴメントは当然彫刻家も巻き込んだ。
 二十世紀の人間精神では一方では戦争の世紀として武器の利用と爆弾の消費、戦争に拠って傷ついた負傷兵や市民の治療という医療ニーズに拠って多大の薬理学的進化を人類は持った。しかし文明の破壊の連続に拠って精神は統合失調的センシビリティを一般市民へ齎した。それがインスタレーションのアートソッドへも影を落としている。広場に集まった画家達は一篇の平面に全体的調和を求めるには余りにもインバランスとハーモニーの失調をこそリアリティとしていた。全体性とハーモニーは喪失した空白として君臨していた。だからこそアーティスト達は身体を直接動かす広場全体へのイメージの布置ということへ意識を向かわせた。彼等は行為性を極点迄追求した。行為=イメージの定着であり、それはそうする時事性に於いて存在と時間の相関性を浮上させた。
 しかし同時に彼等の様なアーティスト以外に二十世紀では、映像の大いなる進化が映画監督や映像作家達に拠って齎されていた。とりわけ編集をモンタージュ理論で定式化させたセルゲイ・エイゼンシュテインはその後のフランスのヌーヴェルバーグ、ジガ・ヴェルトフ集団を刺激した。そのジャン・リュック・ゴダールは日常的抒情的情景と都市空間での存在の悲劇をある部分ではイタリアンネオリアリズムの作家である『無防備都市』の映像で世界を戦慄させたロベルト・ロッセリーニにも魅せられたと言ってもいい。
 彼は明らかに日常的抒情の奥底に潜む残酷な時代状況的悲劇を映像で切り取っていった。それは修辞学的・哲学的でもあって、映画製作と映像作成の形式性の持つメッセージを映画内容と一致した地点で表現したと言っていい。
 実存としての映像という意識が編集に於いて文字メッセージ(記号的表示)と衝撃的音響とを接合させた。ある種のフラッシュバックを用意周到に仕掛けたゴダールはユニヴァーサルな映像定式を求めたが、それを民族的生活のアイデンティティーの側から追求したのがジョナス・メカスであり、アッバス・キアロスタミであったし、あると言っていい。創造モティヴェーションは異なっていても顕現される映像編集に拠るフラッシュバック自体は奇妙に異なったライトモティーフの映像作家同士を同時代共時性に於いて接合させてしまう。
 二十世紀の表現娯楽に於いて最大の発明の一つが明らかにインスタレーションであり、一つがコラージュ(シュルレアリスムに拠って齎されたイメージ同士の連結の意外性の追求)そして編集モンタージュである。
 この二つは時代状況的には並行して進化していった。
 しかし無数の映像作家達がゴダールからインスパイアされても、一般市民はあくまでその特権的なプロフェッショナルな映像作家達の仕事を享受するだけであった二十世紀後半(1980年代)迄と違ってその後の三十年の時代は明らかに、個々人が端末を所有し利用することで映像的スウィッチを手にして、都市空間を闊歩する様になっていたプロセスと言ってもいい。その都市空間彷徨者達は脳裏に二十世紀アーティストに拠る広場でのパフォーマンスとその作為的なメッセージ性を十二分に伝えるべく設定されたメソッドであるインスタレーションという並置的行為があった。それは現在の端末のアプリに該当する。個々の使用意図に沿って選択し、自分自身で使いいい様に利用する(カスタマイズ)ことの無意識の欲求は明らかに都市空間全体をGoogle Mapアプリに拠って端末画像の液晶画面を通してアプリをインストールしてそれを利用すること、そして個々の異なった用途のアプリを転換させて画面遷移を促進する行為に内在する日常的生活スタイルのツール同士のコラージュ性と、編集的センシビリティの持つモンタージュ的メソッドが明らかにアプリのカスタマイズで応用されている。
 我々は日常的生活体験の中で誰しもが非特権的に市民都市生活上でインスタレーションとコラージュ・モンタージュをアプリのカスタマイズと画面遷移を確認することでインスタレーションアーティストであり且つ映像編集作家であることを自然に享受しているのである。
 しかし既に述べた都市空間闊歩での連動に於いて我々は冬季スポーツであるスノーボードスロープスタイルに拠って示されるスロープを移動するアスリートの通路を確保する身体的バランスでエスカレーターに乗り、動く歩道に乗る。そしてスノーボードハーフパイプの持つ特別の技の展開とその身体的バランスの瞬発力で満員電車に乗ってほんの少しの空間的余裕に自己身体を挿入させたり、ある時には満員電車に乗る乗降客の波を巧みに一時的に避けてやはり限られた空間へ自己を退避させたりしようとする。或いはその退避の身体的なアフォーダンスは明らかにアルペン競技である大回転等を応用していると言える。
 しかし仕事それ自体はオフィスに到着すればルティンワークからPDF端末を利用して行う営業でも全てノルディック競技の持つ持久力、持続力に拠る日常的鍛錬を行っているのだ。
 つまりこの連動と落ち着いて腰を据えて行うルティンワークと営業の蓄積という切り替え的な反復は一人のビジネスパーソンの生活と人生が宛らアルペン競技とノルディック競技とを巧く協働させることに拠って日々実現させていることが分かる。そしてその切り替え作業に於いてツールとしてのアプリをカスタマイズし、ディヴァイスとしての端末を利用することで、二十世紀アートと映像の持つメソッドを応用しているのである。
 しかし前章で述べた時間論的伝承、つまり神話的奉納儀礼の持つハレとケ的な民俗文化的伝承に観られるある種のブリコラージュとそういった日常的に反復される異なった性質の行為の切り替え(switching)とでは一見全く無関係に感じられるが、実はそうではなく、あくまで一個の人間の存在者としての意識の上では常に相互にフィードバックされ応用されているのである。
 つまり通時的伝承と共時的伝搬、つまり行為の連動性とは協働のシステムに知覚生理学的にも精神病理学的にも組み込まれていると言えるのだ。
 次回はその臨床精神医学的な協働性と、知覚生理学・神経学的協働性から連動と反復に拠る経験則的な鍛錬とに就いて考えてみよう。

Sunday, December 22, 2013

第二十九章 時間系列的文化の伝承と人類全体のユニヴァーサルテクノロジーの進化Part1

 本章に至る迄の人類学的な個人的なツール所有という意味での出来事的な進化過程は次の様なものと見做してよい。
○言語を持ち嘘(虚偽申告)が可能となったこと。
○貨幣が流通し、貧富の差を拡大させ、階級差を作ったこと。
○銃器の発明に拠って個人的に他者への殺傷能力を飛躍的に向上させたこと。(戦争道具としての銃器はもっと早い時代からだが、個人所有はもっと最近である。)
○車の発明に拠って個人の移動を容易にさせたこと。(銃器と車のいずれが先後となるかは、今手元に資料がないので断言出来ないが、フォードの車というものを今一応念頭に入れている。)
○マシーン、ツール、ディヴァイスの進化に拠って、より個的な非リア充的な日常生活での時間(検索、ゲーム、通信その他)を全ての個人へ持たせたこと。
 これらの進化過程では全て言語行為が関わっている。
 銃の発明は戦争以外でも目的殺人の為の手段を個人へ与えたが、これも言語行為を通して利害関係を構築している事に於ける利害の衝突が生む敵対者の抹消意図に拠るものである。
 車に拠る移動それ自体は歩行の延長であるが、住む土地、仕事で訪れる土地への移動とは、一人で移動する場合は言葉を遣うことはないが、あくまで人間社会での移動とは次に住む土地、次に勤務し出張し仕事をする土地で言葉に拠る遣り取りをするという意味で、近い未来の言語行為の為の準備という意味合いがある。
 空間移動を可能とさせた車以外の船舶、鉄道網の発展とテクノロジーの進歩は、各地の情報を他地域へと広範に伝播させることに貢献したが、この各地情報の伝播は産業的なこと、商業的なこと以外の文化的なことに於いて固有の融合と固有の時間的伝承に於けるモード的な変化を齎した。国家間、異民族間では商業上のピジン、クリオールを生み、例えば植民地文化の様なものに代表される多くの商業工業都市に固有のモードを時代毎に、そしてエリア、レジョン毎に齎して来た。
 埼玉県小鹿野町とは近年は地域歌舞伎の上演でマスコミにも多く取り上げられてきているが、古来神楽の伝統も継承されていて、今でも神楽と歌舞伎の二本立てで文化伝承的な多くの行司が年間に行われている。1800年代、つまり文化・文政年間(文化年間1808.2.11-1818.4.22/文政年間1818.4.22-1830.12.2)からこの町では霊体祭が奉納の儀として執り行われてきた。そして十六社と呼ばれるそれぞれ異なった座の若連が存在するこの地元では、四十年前から歌舞伎保存会が設立され、六部会統合という形で伝統芸能継承を行ってきている。この伝統芸能の教育は小学校二年生の男子女子から行われていて、毎年新人育成も行っている。指導者、実演者全員が素人であることが大きな特徴である。そもそもこの種の文化伝承は営利目的のものではないことが極めて理に適っている。土地には様々な職業の人達が居て、それぞれの家庭の子供達へ地域芸能を伝承させていくことこそが重要な行為なのである。
 町の小中学校では特別授業が課外活動として行われ歌舞伎を教えている。六部署で異なった歌舞伎を伝承させてきたことも特筆すべきである。元々この地域では農繁期以外は旅芸人として別の土地へ移動出稼ぎをしてきていて、お金を貯めて地元へ戻るのだ。そして地元では霊体祭の時のみ舞う。奉納、女歌舞伎も存在する。
 神楽はそういった近年の地域起こしとは又歴史的には層のより古い形で伝承されている。神楽では岩戸開きが重要なテーマとして君臨し、伝承された流儀も個々異なっている。五穀豊穣として長岡中学校では伝統芸能班に拠る総合的学習も行われている。此処で生徒達は拍子木とつけの所作を習得する。そして神楽と歌舞伎の両方を一つの祭で行うのは、埼玉県のエリアでは十六社が唯一のケースである。
 何人かの子供達は神楽と歌舞伎両方のお囃子の演奏を幼い内から身に付ける。それは縦の伝播として両親がやはり彼等の両親から幼い頃から教えられてきているケースが多い。要するにその演奏は身体で覚えるものなのだ。
 神楽の場合宣託を狐が行い、祟る神を鎮め、豊穣のエネルギーを高める儀式である。ところでこの十六社には、宣託性は東北地方では盛んなのであるが、翻って関東地方では概ね神的祈祷が希薄であるにも関わらず、それが強く残っている等から考え合わせると、十六社では関東地方の流儀以外でも東北地方と起源的には結び付いているのかも知れない。因みに関東地方では埼玉県の鷲宮神社が最古のものと言われている。それと十六社の関係等も重要な学術的テーマとなるかも知れない。
 又この神託ということの節分等との関連性等も興味深い民俗学的なテーマではないだろうか?
 小鹿野町では十一月には共同芸能祭を文化センターで行っていて、各部署が寄り集まり上演し、舞うのだ。
 鶴屋南北(四代目歌舞伎狂言役者兼歌舞伎役者)は天保年間(1830.12.10-1844.12.02)に秩父神社で神楽を行わせた。南北は文化五年(1812)、五十四歳の時それ迄の長い下積みの末、立作者の地位を築く(十一年四代目南北を襲名)。そして神楽自体がストーリー性を表出させたのは江戸中期以降であり、それ以前は巫女一人、天狗一人というシンプルな形で上演されていた。
 尚歌舞伎では拍子木は紫檀、黒檀で作られ、つけ(叩く薄板)は樫で作られ、叩かれる広い板は檜で作られるのが習わしである。 
 神楽とは関東地方では里神楽と呼ばれ民間伝承的な性質のものとされる。
 そして地域の地元芸能が一時的に途絶えることもあったが、それは両親から伝承していた地域芸能伝承者が継承者を作る前に他界するか、子供が居ずに伝承する機会を失して舞台上演は中断したりすることである。しかし幼い頃から何度となく舞台上演を鑑賞してきている大人が両親から伝承される形でなく自分自身、或いは地域社会の同年代の大人と協力して年配者の意見等も充分取り入れ、他地域の上演舞台を参考にしつつ古来受け継がれた自分の地元の芸能を復活復元するという作為も現代迄の途上ではあったとされる。
 御神楽(長保四年1002より、或いは寛弘五年より隔年で行われ、後毎年となった)と言われる宮中儀式(新嘗祭等で行われる)と里神楽のいずれが歴史的に古いとは今手元に資料がないので何とも言えない。しかし恐らくこの二つはかなり古い時代から同時並行的に執り行われていたものと思われる。平安時代(794-1192)の四百年間の中の中期(950頃から1000位の間)に様式が確立された(90首の神楽歌が存在する)とされるので、御神楽とは、その完成形を公式のものとして採用したということとなる。と言うことは、それ以前的には関東地方での里神楽をはじめ出雲・佐陀大社(現在の佐太大社)の御座替神事の採物(とりもの)神楽(出雲流神楽)、湯立神楽(伊勢流神楽)、獅子神楽(東北地方の山伏神楽、伊勢の太神楽等)、巫女神楽等各地に伝承されたもの、或いは太神楽(伊勢神宮、熱田神宮の神人<じにん、じんにん>が各地を回り、神札を配り悪魔祓いをする神楽で大神楽とも代神楽とも呼ばれる。獅子舞と曲芸を主とし、江戸太神楽や水戸神楽へも発展した。)の統合形態として全国統治の象徴として御神楽が継承されてきたと捉えることも自然であろう。
 取り敢えず私自身が今年三月九日に訪れた小鹿野町の神楽・歌舞伎上演を肉眼で確認したことで、私自身の中で展開されてきている民俗文化の時間的伝承が、人類全体のツールの発明と使用という水平伝播的な出来事と相纏って、新たな認識を私に与えている。
 それは一つには時代的な生活形態とツール利用を巡る人間としての個の社会、世界への対し方の実がどの様な形で人類全体の傾向性として日本人にも体現されていたか、という一つの普遍的事実と、もう一つはそれでも尚時間系列的伝承性に於いて水平伝播全体への無意識の抵抗と民族的、民俗的なアイデンティティーの確認をも、どの時代に於いても我々が行ってきたということを示している様に思われる。
 前章での空間移動の在り方の交通機関の発展に伴う変化と共に、地元共同体的な連帯意識が同時代的伝統芸能間の水平伝播と同時並行的にどの地域にも随伴されてきているという事実は、現代でも国会と地方議会、中央政府と地方自治体とがある様に、この両極の異なった性質のアイデンティティーをどの地域の個も携えている、という事実を思い起こさせる。そしてその二つの両極の間には、自分の住む市町村、かつての村落共同体と、もう少し広範に共通する気候、農産業的な同一運命共同体としての例えば関東地方という特色が、脈々とある程度自己完結的に民俗文化を形成してきている、ということ、そして突然変異的に異地方からの文化伝承が何らかの人的な移動と移入とに拠って行われたりして固有の特色を構成して全国とか国家民族的特色の一翼を担っているという事実も浮かび上がらせると言えよう。(つづき)  

Wednesday, April 3, 2013

第二十八章 交通機関の発達に伴う風景認識の変化に就いてPart2 風景の切断化は必然だった

 我々は自らの視界へ入るものを何等かの形で認識しようとする。それはヴィジュル的な事を語彙へ置き換えていこうとする欲望だとも言える。従ってある風景を眼前に展開させている時、「雄大な風景だ」とか「壮大なパノラマだ」とそう表現する。
 つまりその様に風景を言葉に置換する事で風景と自分自身の存在との関係を表示しようとする。その点では人類が絵をかなり初期からずっと描いてきた事はその世界を風景として認識したいという欲望の顕現であり続けた、と言える。
 絵を描く事だけでなく、言葉で世界を意味づける、世界をあらゆる性質で区分けする事 の全てが枠を設けてその中で世界をある情景として、ある風景として、ある状況として理解する事こそ人類が世界へ、自然環境へ、地球へ注いできた視点である。
 つまりそれは形而上的に空間を理解する事、把握する事、つまり言葉とか観念とか価値としてそれらを観察する事を習慣づけた、と言える。空間をその様に意味付ける事は、即ち分節化させていき、その切り取られた世界に全的な何かを読もうとする欲望で有り続けたと言える。
 言葉がそれを先取りし、その後映像、写真や映像へと発展した。言葉と絵との関係は常に並行して執り行われていたと言えるだろう。地図は一つの絵である。説明する為の図式の全て、ある道具の機能と使い方を説明する図も絵である。
 どの様に広大な空間を眼前にしても尚、それを分節化させようとする意志こそが言葉を生み出させてきた。空、地平線、水平線、大地、陸地、海等の全てはそうである。
 先月の20、21日に東大本郷キャンパスで行われた国際会議でオランダの哲学者であるIgor Douven氏(University of Grouningen)は発表の中で空間認識に就いてProportion of element of space makes sentenceという箇所で氏の空間認識と語彙化、言語的認識の起源に就いて触れられていたと私は解釈した。空間を要素として分節化する事こそが空間内存在者である我々が語彙を形成する契機であるとは極自然な考えである。
 前回触れた交通機関等の全てはこの空間の分節化、どんなに一人間個人にとって広大な空間でも、それをあるエリアとして認識する事でそれを世界の一部として理解する事を促進する事が交通機関を発達させてきて、都市空間を人間にとってより空間全体の中のどの部分を有用なものとして認識するかの指標として作ってきたのだ。
 その点では益々利便性と移動速度を増す交通機関とは、あるエリアに居住する個々人の自己の居住するエリアへの愛着とは別個に世界全体を分節化する欲望に忠実に人類が空間へと対峙してきたという事を示している。しかもそれぞれの風景は画家や詩人が絵画や詩歌を作るのに適した分節化された世界として提示されていると人類は認識してきたのである。それは恣意的に人類が居住してあるエリアをある共同体が支配するという原理を人類の基本としてきたという事だ。
 しかし今郊外の都市でも大型スーパーで顔を知っている近隣のコンビニとか他の店舗で就業する従業員を見かけても名前迄は知らないという事の方が多い。かつての共同体であるなら何処其処で育ち今は何をしているかの個人のアイデンティティー迄知っていた事でも現代の郊外都市でもそういった事は少なくなってきている。
 つまり我々は一般に風景や自然の有様も切断化させているけれど、対人関係に関しても全的に他者を把握しているわけではないのだ。全ての他者や社会全体に対する情報は部分化されている。切断されている。しかもその事実を憂えたりする事すらない。その自分自身の周囲の環境へのノンシャランス自体が我々の精神的リアルである。
 その点では空間移動を迅速にして一日で仕事を他エリアで行い帰宅して他エリアの文化的差異を自覚する暇もなく何時もの生活へ戻る生活の反復に不平不満を持たぬ様に現代人は慣らされている。出張というリアルは他エリアへ行っても、そのエリア固有の文物に接触する事を旨としているのではなく、あくまでどのエリアでも共通したニーズの下で業務する事を強いられる現代人のルティンワークでしかないのだ。
 故に民俗学的、人類学的な何等かのあるエリア固有の伝承生の事とは切断化された風景をもう一度少しずつ緩やかに変化していく徒歩旅行者にのみ把握され得る視界へ入る情報に委ねられている。つまりそういう風に江戸期迄ならどの階級の日本人でも当然の事として認識していた風景の緩やかな全貌の変化を再発見する為にもう一度足で地球を実感しようという感性を現代人に与えている。そういった新たな発見を有意義なものとする為にこそ人類は空間移動を利便性の下に交通機関を発達させてきて、全国中にコンビニとか郊外型大型スーパーの店舗を配置させてきたのかも知れないのだ。
 スマホ等のツールもそういった各エリアの情報を得る為に各個人が携帯しているのだ。コンビニエンスを各個人がマルクス主義的に平等に携帯する事を促進してきたのは人類の空間分節化的な把握と言語認識欲求である。
 次回は伝承性の文化に就いて、それが研究対象となっている現代の状況から考えてみたい。

Saturday, March 16, 2013

第二十七章 交通機関の発達に伴う風景認識の変化に就いてPart1

 人間にとっての社会生活を最も一変させたものは言う迄もなく交通機関の発達である。人間にとってのインフラで最も時間感覚も空間感覚も大きく変えた(それが無かった時代には無かった感性へと運んだ)という意味で交通機関に勝るものはない。
 その中でもとりわけ列車、陸上交通の移動手段の要である鉄道機関の発達は都市空間そのものを駅を中心とした商業活動から観光、主要産業の育成等と共に最も変えてきた。それは生活空間の在り方の根幹を激変させてきたと言える。昨今の渋谷駅周辺の再開発にもそれは顕著に見られる事である。
 その中で空間感覚を変えた事は、移動に伴う時間の節約という観点から旅行の概念を時間感覚的にも大きく変えた事でもあるが、それ以上に我々が日常目にする風景への認識をも大きく変えたとも言える。
 江戸期以前は道路も舗装されていなかった。しかし明治期後半には全国の鉄道が施設され、やがて自動車が走る様になり、昭和時代は個人が車を所有して移動する事が日常化された時代であった。個人で車を利用する以前にも既にバス利用は日常化されていた。
 道路の舗装はとりもなおさず徒歩で行く旅行にとって有用な道の概念を一変させた。要するにスピーディーに移動する為には出来る限り曲線を避け、直線移動を円滑にする様に道路が改変されていく必要があったので、概ねどの町でも旧街道の方が紆余曲折していて、新道の方が直線的である。そこに都市空間の旧道文化と新道文化の多層性も生じてきた。
 江戸期は極後半には道路も整備されてきていたとは言え、鉄道が敷かれていたわけでもないので、全て移動は徒歩によるものであった(籠に乗るという以外は)。従って全て足で地球を直に触れて全国を移動していた日本人にとって当然風景は少しずつ変化していくものであり、突然変化する風景とは山を超え谷を超えていた頃には徒歩で初めて崖の下に見えた海とかくらいであり、トンネルが整備されてき始めたもっと後の時代になってからである。
 その点ではあらゆる風景への認識と美観は現代人より微妙な変化に敏感なものであった事は間違いないだろう。明治期以降の工業化の波によって形成される工場地帯等の人工的インフラの整備によって初めて風景とは突如激変する事を強いられ、その風景の激変に我々は日常的に慣れっこになっているが、それは少なくとも江戸期迄は多くはなかった筈だ。それは移動に要する徒歩による時間を考慮に入れても言える事である。
 鉄道が施設され、バスが運行されるに到って移動とは点から点へのものとなる。乗降客は最初の内は風景の変化が徒歩よりは早く実感出来る事を楽しんでいたであろうが、じきにそれも飽きて車内で車窓を楽しむ心の余裕は都市空間内では希薄化し、鉄道もスピードアップするにつれて車窓を楽しむ事はローカル線以外では稀になっていったであろう。
 要するに途中の風景の微妙な変化を楽しむよりは、特筆すべき個別的なその土地固有の風景を点的に把握する様になっていく。つまり東京の名所、千葉県の名所、茨城県の名所、埼玉県の名所、栃木県の名所と電車に乗って移動するにつれて点から点へとどの土地でも所在する名所への着目が変化のプロセスより特筆するパノラマへの意識へと移譲させていったと言えよう。デジタル的な風景の変化は、アナログ的な微妙で緩やかな変化をさして注目すべき観点では無くしていったと言える。
 従って現代へ近づくにつれ風景認識は都市とその都市の中心に位置する駅とその周辺の都市空間の整備とに伴った不連続的な点集合へと線的連続的に徐々に変化していくプロセス的移行から意識を向かわせてきたのが人類による交通機関の発達に伴った風景認識上の意識変化の最たるものであろう。
 つまり風景とはある土地の特筆すべき部分として切り取られたパノラマを中心にあくまで部分化された記号と記号の間の緩やかな変化よりは、より切断された点的に中心化された観光空間、都市主要空間へと意識を向かわせるものとなり、徒歩でのみ実感し得たプロセス的変化を抹消化させる(まさに徐々に埼玉県から栃木県へと移行していったり、徐々に静岡県から愛知県へと移行していったりする事が徒歩では実感し得ても、電車移動では切断されてしか実感し得ないという部分としての)方向へと進化していったと言える。
 この風景の切断化、局所意識集中化という現象が世界の風景を一変させてきたのが二十世紀以降の人類史であるとも言える。それは周辺の脱中心化されたエリアのスラム化、そして荒廃していく過疎化傾向を助長してきた。
 その点をより脱中心化されたエリアを復興させるべく意図されてきたのはここ十数年の事にしか過ぎない。郊外型大型店舗等の登場によって初めて我々は少しずつ緩やかに変化していく郊外に再び注目していったわけである。人為的変化自体への意識の着目状態はここ百年くらいの間恒常化されてきていたが、郊外を再び活性化させようと試みてきたここ十数年の間に再び自然自体の緩やかな変化へ意識を着目させようと我々は目覚め始めているとも言える。
 しかし車による移動では知覚的には道路標識とか信号とか交差点等の方へしかより神経を集中させられない。徒歩で移動して初めて都市インフラ以外の自然環境へも意識を向けられる。
 移動スピードの向上によって失われるものとは自然環境による変化とそれに伴う文化的なエリア毎の微妙な差異への着目である。それが高速道路等のインフラによって道路整備の直線化によってエリア毎の文化的差異が事実上意識の上では無視される方向へと移行していった事だけは否めない。交通機関の発達していなかった時代での文化伝播スピードが極めて短縮化され飛び火的に人的移動によってミックスされた複合異文化構造(文化の突発的キメラ化と呼ぼう)のエリア固有の文化の様相は交通機関とそれによる人的移動の頻繁化によって促進されてきた。
 要するに昔であるなら余程の理由がな限りなかった筈の異なったエリア同士の異文化結合が今日に近づくにつれ突飛なものとなり頻発し、よりエリア毎の厳密な差異も薄れてきているとは言える。
 直線化された道路と鉄道の線路の直線性とは、あるエリアの中心地を設定する事と、それに伴って点的に特筆すべき観光誘引的なパノラマを他エリアと切断された個別のものとして現出させてきた。しかしそのある土地と別のある土地との間には確かに徐々に変化し移行していく文化様相や土地土地の人達による生活習慣、そして伝承された古典芸能等の少しずつの変化、緩やかな変化が本来は根付いていたのである。つまり都市空間の他エリアからの差別化こそが点的にあるエリアの文化を集中化させ、それ以外の今では郊外として再注目されてきているエリアを周辺へと追いやる傾向へと進展させてこられたのが二十世紀文明であったのだ。
 かくして傾らかな山系以外の多くの点的に局在化された都市空間やインフラとその周囲の点を囲う付随物の密集へとのみ旅の移動で注目される様になり、それ以外の線的な移動での緩やかな変化は徒歩者にのみ委ねられる様になっていった、そしてそれに今我々はやっと気づいたという所ではないだろうか?