人類の未来を考える時四五十年先なら何とか見通せるとも言えるが、五百年となると中々創造がつき難い。そこで五百年前の世界から現代迄のことを参考にすることは無意味ではあるまい。つまり人類は何を求めてきたかということはここ五百年の人類の歴史から換算していけば、今後を見通す鍵くらいは見つけられよう。
徐々に偉大なる先人を遡っていくと、ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685―1750)、アイザック・ニュートン(1642―1727)、ディエゴ・ベラスケス(1599―1660)、ウィリアム・シェークスピア(1564―1616)、ガリレオ・ガリレイ(1564―1642)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452―1591)という風になる。すると今から丁度五百年前に偉大なる仕事をしたのがダ・ヴィンチということになろうか?
それから現代までのことを考えると、それは加速度的に都市文明が構築され人口が増加し、科学技術が進歩した時代だったということになる。
しかし同じ加速度的進歩が人類に今後齎されるかということになると、疑問を抱かざるを得ないという考えも考慮に入れると、人類はどういう風に進路を決定していくのだろうかという思念に及ぶ。
しかし少なくとも世界全体が宗教とか哲学とかだけに加担して、科学技術なんでもうどうでもいいという方向に行くとはとても思えないし、芸術や文学や演劇だけに現を抜かすという方向に行くとも思えない。恐らく相変わらず科学技術は最前線で我々の文明を維持しようとしつつ、芸術、文学、演劇などを人々は楽しみ、音楽や絵画を鑑賞したり、映画や舞台を楽しむということは変わらないだろうし、スポーツは依然エンターテインメントのトップポジションに君臨し続けることらだろうし、野球やサッカーを観戦しながらビールを飲んだり、ロックコンサートを聴きながらビールやハイボールを飲んだり、ジャズを聴きながらワインを飲んだりということは変わりないだろう。クラシック・コンサートも今迄の様に礼服に身を包んで行くという習慣も残るだろう。
しかし重要なことはここ数十年の間にあったIT情報化社会による国際的な国境の無化はそのまま継続され、恐らくビル・ゲイツ、スティーヴ・ジョブズ、スティーヴ・ウォズニャック、マイケル・シュミット、ジュリアン・アサンジ、マーク・ザッカーバーグ等が思想家として歴史に刻まれ、実際に文筆業としての思想家は一エッセイストして数行だけしか歴史書には登場せず(エドワード・サイードも)、哲学者もご他聞に盛れず、ガンディーやマザー・テレサは宗教家として残り(人道主義者はそういう側面から人生を考えていたが故に)、孔子、ゴータマ・シッダールタ、老子、荘子、イエス・キリスト、ムハンマドといった人達は神話的存在となり、今の様に聖典は残るだろうし、音楽家で世界を席捲した一部の人達は音源も残るだろう(チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、エルヴィス・プレスリー、ザ・ビートルズ、シカゴ、クィーン、マイケル・ジャクソン他)。
只我々の生活上でずっと残ってきている車がどうなるかということは極めて興味深いことである。今迄の様に世界中の誰しもが車を乗り回すという方向に行くのだろうか?
それは車だけでなく飛行機もである。ここら辺がエコ的観点で気になるところではある。
映像的な世界、つまりヴィジュアライズされたイメージの世界は益々世界を席捲していき、多機能モバイルが携帯電話とパソコンの境界を無化し、要するに移動生活は益々世界規模となっていくだろう。宇宙計画がどうなっていくかということだが、世界中で宇宙にまで旅行出来る人達はやはり一部であるということは、宇宙旅行の是非とは別に変わらないという気はする。それは宇宙に全ての人類が等しく関心を注ぐとも思えないからである。
生殖医療・遺伝子治療も益々盛んになり、デザイナーズベイビーも今よりもっともっと増えるだろう。しかし同時にそういったこと自体への反発心も一部では根強く残る気はする。不妊治療とサロゲートマザーの共存、そしてそういったこと全体への臓器移植などをも含めた医療合理主義に対する人類の中での一部の反発心を持った人々との間の延々と繰り返される思想的対立は今よりももっと表面化していくだろうし、クローンベイビーも今よりももっと多くなるという気もする。
地域的な紛争はずっと絶えずに残るとも思われるし、時々今でもしている米軍による空爆もなくならないだろう。もっとも五百年後も依然アメリカが世界のトップリーダーである可能性は五分五分といったところかも知れない。しかしもしアメリカ以外の国が世界のトップリーダーになっていても、尚今の様な世界秩序の様なものは維持されるだろう。
又民族というものもなくなりはしないだろうし、民族固有の言語も少なくとも現在維持されてきている国家公認の公用語は残っていくだろう。それに対して案外クリオールやピジンなどは然程隆盛を極めないだろうとは予想される。それを無化しているのが航空技術の進歩であろう。今現在船によって世界的規模の移動をする人はことビジネスではいないからである。今よりももっと世界都市空間は均質化していくことは避けられまい。そして各国の文化遺産に対する観光産業という形で民族宗教や伝統行事は残っていくのである。
これからは鉄道自体もトンネル(海洋や山岳も含めて)などの建設によって益々無国境化されていくことだろう。そういう意味では世界が全ての市民にとって徐々に未知の部分が少なくなっていくことだろう。勿論これからも自然の脅威は地震、津波、雪崩その他幾つも起こり得るだろうから、当然人が住める地域とは世界全体からすれば、今とそう変わりないとは言えるだろうが、人類は世界的規模で農業その他の食の確保を考えていくだろうから、森林伐採などを国際法的に罰則を設けるなどして対処していくということは考えられる。
延命医療が人類の身体を益々サイボーグ化していくという方向も考えられるが、その点でもそういった疾病対策と障害克服に関しても尚、徹底的合理主義で考える国家規模の医療ヴィジョンと、非合理主義者が徹底的に論争していくという絵図は思い描ける。
その根拠は次回以降考えていくことにしよう。
Friday, April 22, 2011
Monday, February 28, 2011
第十六章 世界は意図に満ちている?/快苦と慣れ②
「部分化する観光都市モデル」は我々が居心地のよさを、修正不可能である様に思わせる惰性的性向に根差しているし、又性行為を巡り快楽と、出産時に味わう母体の痛苦自体も、それが出産後にはけろりと痛みが退くが為に又ぞろセックスに対する欲望が沸々と沸き起こるという様な相も変わらぬ快楽志向(嗜好)を我々が惰性的に理性以外に絶えず携えて生活している、ということを意味している。
ミシェル・アンリが「精神分析の系譜」(大阪大学での講義録)で示している情感性(「身体の哲学と現象学」でも充分示されていた)や自己触発といった語彙は、まさにそういった惰性的な身体的記憶、しかもそれをもう一度味わいたいという欲求と関係がある様に思える。
例えば我々は京都、奈良、鎌倉といった古都に対して期待するものが、個人差よりは、より一般的に日本人にとって故郷の様に思えるものによって形成されているのではないか、とそう思える。勿論日本人にとって味噌汁は地方毎に少しずつ全部味も違おう。しかしそれでも尚全国何処に行っても味噌汁が飲めるということこそが日本であり、そのことに対して、それこそが一番嫌いであると言う人の方が圧倒的に少ないのではないか?
その意味ではこういった伝統文化的なコードへの追随とさえ思えないある種の我々による同化といったことは、記憶が身体的に、幼児体験的に遡れるものであればあるほど、それが理想の環境の様になっていってしまうということかも知れない。
だからこそ部分化された観光都市モデルが日本を、何処に行っても山形には山形なりの、福島には福島なりの、仙台には仙台なりの良さを我々に求めさせる。
それはやはり家庭とは寛ぎのあるものであった方がよい、と多くの人達が考える様な意味での安らぎとか憩いといったことの基本に横たわっているのではないか?
だからある忙しない都会の喧騒を目の当たりにしてさえ、そういった環境で育った人にとって、それが一番安らぎを与えるものとして存在し得る。だから快苦の規準とは、そういう風に個々人によって極めて振幅の大きいものであり、ある個人にとっての快は別のある個人にとって痛苦以外ではなく、その逆もあり得る。
そしてそれはまさに身体的記憶(響きとか匂いとか、或いは言葉の語呂<方言など>や、要するに外界から授受するクオリアの様々な在り方として)と密接で、それが想像力の在り方自体に個人差を与えている。
恐らく現象学者で天才的作家でもあったミシェル・アンリが自己触発とか情感性と呼ぶものとは、そういったことではなかっただろうか?
そしてまさに個々人にとって異なるクオリアの在り方を我々に与えているところの環境とかそれを形成させるのに大いなる役割を持つところの自然こそが、世界自体となって、そういう風に個々人に異なった感慨を全ての事物が与えるという事実こそが、世界の非意図的な意図である、と言えないだろうか?
その意味では我々個人が、存在者が意志するところの意図とは全く違った様相で世界自体が意図を持って我々存在者全体へと対峙している、と少なくとも私には感じられる時がある。それは特に極めて大勢の生活者や就業者達が集う大都会の喧騒の渦の中にいる時にそうである。否京都や奈良や鎌倉などを闊歩している時ですら、同じ名刹を同じ様な関心で訪れるあらゆる世代の人達の行動や表情を眺めていても感じることである。
ある人達にとってある名刹は極めてゆるりと寛げる雰囲気であるが、別の人達にとっては全く別の名刹がそうなのである。そして私などの様に薬師寺とか唐招提寺の様な名刹にそれぞれ固有の池などを探索することに寛ぎを見出させている。西大寺には西大寺に固有の池があった。つまり池の佇まい自体に、我々は名刹の固有性を嗅ぎ取れると私は考えているのである。
それは鉄道ファンにとって駅舎とか、駅構内の建築構造自体が、ある都市とかある地方の固有の特色を象徴している様なものとして認知し得るということとも相通じる。そして私はあの上野駅の駅舎にロマンを感じるとか、久里浜駅の駅舎に懐かしさを感じるとか、要するに個々人に異なった寛ぎ方を与えている。まさにその様に個々人で異なる寛ぎ方は世界には千差万別あるという事実こそが、世界が非意図的に意図的であろうとしている様に私には感じられるのである。
これはある意味では極めて紀行文学的感慨であるかも知れない。しかしこの紀行ロマン的な感慨を我々に与えているのも文化という側面もあるだろう。しかしもっとダーウィンの自然選択的な真理とも大いに関わっていると思われる部分も確かにある。
大都会東京には様々な場所があるが、ある一群の人達はある場所に、別の人達は別の場所に屯する。このパターンとは案外流動的ではあるものの、沈殿して定着している、とも言える。新宿のゴールデン街に集う人達の性格は大体似通っているとも言えるし、京王プラザホテルの喫茶で談話する人達も大体似通っていると言える。それはどういう会話をするかということで決定されている。これこれこういう会話をするには、これこれこういう場所が相応しい、従ってこれこれこういう場所を一緒に歩くのなら、こうれこれこういう友人、知人と共にが一番いいという選択は個々人である筈である。それはある歌曲がBGMとして流れてくるのが相応しい場所、逆にある場所にはある歌曲がBGMとして流されることが相応しいということがあるのに似ている。それは全く個人毎に差違はあるだろう。しかしその差異はやはり同意よりは遥かに小さいのではないだろうか?つまり概ね一致し得る相応しさに対する判断があるのではないだろうか?
つまりその概ね一致し得る判断があるからこそ、一方では多種多様な憩いの場所があるにも関わらず、それらが案外余りにも対立することなく、共存している、ということと、モラルとかエシックス(倫理)が我々によって相互の暗黙の同意の如く何時の時代にも存在している(アンチモラル的、アンチエシックス的人生さえ、そういった同意を積極的に求めているとさえ言える。つまり反社会性にとっては、社会性が自己をアウトサイダーとかアウトローとして際立たせる存在として積極的に必要なのである)のではないだろうか?
ミシェル・アンリが「精神分析の系譜」(大阪大学での講義録)で示している情感性(「身体の哲学と現象学」でも充分示されていた)や自己触発といった語彙は、まさにそういった惰性的な身体的記憶、しかもそれをもう一度味わいたいという欲求と関係がある様に思える。
例えば我々は京都、奈良、鎌倉といった古都に対して期待するものが、個人差よりは、より一般的に日本人にとって故郷の様に思えるものによって形成されているのではないか、とそう思える。勿論日本人にとって味噌汁は地方毎に少しずつ全部味も違おう。しかしそれでも尚全国何処に行っても味噌汁が飲めるということこそが日本であり、そのことに対して、それこそが一番嫌いであると言う人の方が圧倒的に少ないのではないか?
その意味ではこういった伝統文化的なコードへの追随とさえ思えないある種の我々による同化といったことは、記憶が身体的に、幼児体験的に遡れるものであればあるほど、それが理想の環境の様になっていってしまうということかも知れない。
だからこそ部分化された観光都市モデルが日本を、何処に行っても山形には山形なりの、福島には福島なりの、仙台には仙台なりの良さを我々に求めさせる。
それはやはり家庭とは寛ぎのあるものであった方がよい、と多くの人達が考える様な意味での安らぎとか憩いといったことの基本に横たわっているのではないか?
だからある忙しない都会の喧騒を目の当たりにしてさえ、そういった環境で育った人にとって、それが一番安らぎを与えるものとして存在し得る。だから快苦の規準とは、そういう風に個々人によって極めて振幅の大きいものであり、ある個人にとっての快は別のある個人にとって痛苦以外ではなく、その逆もあり得る。
そしてそれはまさに身体的記憶(響きとか匂いとか、或いは言葉の語呂<方言など>や、要するに外界から授受するクオリアの様々な在り方として)と密接で、それが想像力の在り方自体に個人差を与えている。
恐らく現象学者で天才的作家でもあったミシェル・アンリが自己触発とか情感性と呼ぶものとは、そういったことではなかっただろうか?
そしてまさに個々人にとって異なるクオリアの在り方を我々に与えているところの環境とかそれを形成させるのに大いなる役割を持つところの自然こそが、世界自体となって、そういう風に個々人に異なった感慨を全ての事物が与えるという事実こそが、世界の非意図的な意図である、と言えないだろうか?
その意味では我々個人が、存在者が意志するところの意図とは全く違った様相で世界自体が意図を持って我々存在者全体へと対峙している、と少なくとも私には感じられる時がある。それは特に極めて大勢の生活者や就業者達が集う大都会の喧騒の渦の中にいる時にそうである。否京都や奈良や鎌倉などを闊歩している時ですら、同じ名刹を同じ様な関心で訪れるあらゆる世代の人達の行動や表情を眺めていても感じることである。
ある人達にとってある名刹は極めてゆるりと寛げる雰囲気であるが、別の人達にとっては全く別の名刹がそうなのである。そして私などの様に薬師寺とか唐招提寺の様な名刹にそれぞれ固有の池などを探索することに寛ぎを見出させている。西大寺には西大寺に固有の池があった。つまり池の佇まい自体に、我々は名刹の固有性を嗅ぎ取れると私は考えているのである。
それは鉄道ファンにとって駅舎とか、駅構内の建築構造自体が、ある都市とかある地方の固有の特色を象徴している様なものとして認知し得るということとも相通じる。そして私はあの上野駅の駅舎にロマンを感じるとか、久里浜駅の駅舎に懐かしさを感じるとか、要するに個々人に異なった寛ぎ方を与えている。まさにその様に個々人で異なる寛ぎ方は世界には千差万別あるという事実こそが、世界が非意図的に意図的であろうとしている様に私には感じられるのである。
これはある意味では極めて紀行文学的感慨であるかも知れない。しかしこの紀行ロマン的な感慨を我々に与えているのも文化という側面もあるだろう。しかしもっとダーウィンの自然選択的な真理とも大いに関わっていると思われる部分も確かにある。
大都会東京には様々な場所があるが、ある一群の人達はある場所に、別の人達は別の場所に屯する。このパターンとは案外流動的ではあるものの、沈殿して定着している、とも言える。新宿のゴールデン街に集う人達の性格は大体似通っているとも言えるし、京王プラザホテルの喫茶で談話する人達も大体似通っていると言える。それはどういう会話をするかということで決定されている。これこれこういう会話をするには、これこれこういう場所が相応しい、従ってこれこれこういう場所を一緒に歩くのなら、こうれこれこういう友人、知人と共にが一番いいという選択は個々人である筈である。それはある歌曲がBGMとして流れてくるのが相応しい場所、逆にある場所にはある歌曲がBGMとして流されることが相応しいということがあるのに似ている。それは全く個人毎に差違はあるだろう。しかしその差異はやはり同意よりは遥かに小さいのではないだろうか?つまり概ね一致し得る相応しさに対する判断があるのではないだろうか?
つまりその概ね一致し得る判断があるからこそ、一方では多種多様な憩いの場所があるにも関わらず、それらが案外余りにも対立することなく、共存している、ということと、モラルとかエシックス(倫理)が我々によって相互の暗黙の同意の如く何時の時代にも存在している(アンチモラル的、アンチエシックス的人生さえ、そういった同意を積極的に求めているとさえ言える。つまり反社会性にとっては、社会性が自己をアウトサイダーとかアウトローとして際立たせる存在として積極的に必要なのである)のではないだろうか?
Friday, February 25, 2011
第十五章 世界は意図に満ちている?/快苦と慣れ
何故人間の目が頭の下に二つ左右あるのか、ということを哲学者永井均は不思議がっていたことがある。もし目が頭の全体に幾つも据えつけられていたなら我々に悟性なるものはなかっただろう、と氏が語っていたことが印象的に思い出される。
確かに目がもっと沢山前後左右に据えつけられてあったなら、我々自身の想像力は今とは全く違ったものになっていただろう。第一後ろに振り返るという身体行為さえ必要ではない。しかしもしそういう風に我々が生まれついていたなら、それはそれで何とかなっている、そしてその事実に日常的には何の疑問も抱かずに、それが当たり前であると信じて生活していただろう。
それはパソコンが普及して、それが当たり前になってしまった我々の生活と同じ様なことであったろう。
かつて司馬遼太郎はエッセイで、もし現代社会に大正時代に生活していた人がいきなりタイムマシンで連れて来られたら、一週間と生きていられないのではないか、と述べていたが、私はそうは思わない。それは今生きている人でさえそういう人達もいるのだから、逆に大正時代から連れて来られた人の個々の性格や資質にも拠るだろう。つまり電子機器などの仕組みから使い方まで関心を持ったり興味を抱いたり出来るタイプの人と、そうではない人とに分かれるだろうし、余りそういうことに普段は関心を持たない人であっても、いざとなったなら、必死に習得する意志を持てる人とそうではない人とに分かれるだけのことではないだろうか?
ジャレド・ダイアモンドの名作著作である「銃・病原菌・鉄」で紹介されたエピソードにqwerty配列のタイプライターの話がある。これは今のパソコンのキー配列である。我々は一度既に慣れ親しんでしまったキー配列に何の疑問も抱かないが、ダイアモンドによると、これは右利きの人にとっては苦痛な配列であるという考えもあったらしい。要するに使用頻度の高いキーが左に集中しているが故に、私は左利きであるが故に何の痛苦も感じないで済んでいるが、本来右利きの人にとっては使い難い筈だ、というのである。
当書によれば「1932年には、技術的問題が解決され、効率的配列のキーボードが開発され、使用者によって速度は二倍、使いやすさも95パーセント向上することが示された。ところが、その頃には、qwerty配列のキーボードが社会的にすでに定着してしまっていた。過去六十年以上にわたって、キー配列を効率化したタイプライターやコンピュータのセールスマンや製造業者によって粉砕されてきている。」(㊦第十三章 発明は必要の母である 倉骨彰訳、草思社刊)
このテクストは1997年の原著であるから、十四年それから更に経っているので、実に七十年以上もの長きにわたって、その慣習的なことに我々の身体感覚は指先からならされてしまっているのである。我々は不便さにも結構耐えられる先験的能力も備えている、ということになる。それは私自身にさえ経験のあることなのである。
例えば私は左利きであるが故にかつて左利き用の挟みを購入したことがあった。しかしそれを利用しようとすると、既に私自身が左でものを切ることを右利きの挟みですることに慣れてしまっていて、既にそれを補正することが困難に感じられてしまっていたのである。つまり一旦慣れてしまったものを、「本来はそちらの方が便利である筈である」ことの方に補正することが容易になされ得る期限というものが一体あるのだろうか?
つまりある時間的時点を越えたら、それは身体的メカニズムによってかなり補正が困難化していってしまうということがあるのだろうか?
その意味では我々人類は既に言語行為を当然のこととして進化してきてしまっているが、ある時点迄なら、或いは今の言語活動よりも「本当は」便利なもっと有効な方法が我々にあった可能性はあるのだろうか?
これはある意味では極めて自然科学的立証を必要とする問いであるが、同時に極めて哲学的問いでもある。何故なら我々は眼が頭の下、額の下に二つ左右にあるという事実に慣れきってしまっているが故に発想し難いことでも、或いは額にも、まさに三つ目小僧の様に目がもう一つあったなら、我々は今とは全く違った(だから容易に現時点でその際にそういう発想をするということを想像し難いことであってさえ)、しかし意外と実現したら、即座に慣れっこ(馴れっこ)になってしまう想像力というものがあるのかも知れない。
それは我々の生殖システムの運命にも当て嵌まる命題である。
例えば通常我々は性行為に快楽(身体的な意味での)を伴う。しかしセックスがもし今の様に我々に感じ取られる気持ち良さが全くなかったなら、我々は果たして子孫を繁栄させてこられたであろうか?
その気持ち悪さ(仮に今の様に快楽ではなく痛苦以外のものではなかったとして)を克服する為の処方を編み出すということ自体を可能化させていただろうか?
それは不可能ではなかっただろうか?あくまで我々は今現在気持ちいいからこそ、もしそれが気持ち悪くなりだしたなら、それを以前の状態に戻そうとするのであって、最初から一度として気持ちよくなかったなら、我々の祖先はその段階で子孫を繁栄させることが出来ず遠からず絶滅していたであろう。そして我々も当然のことながら生存してなどいなかった。
しかし母親は、母体を痛めて出産する。これも確かである。私は男性に生まれたので、終ぞ経験し得ずに生涯を終えることだろうが、陣痛をはじめとする母体の痛苦がもしなかったなら、いやもっと積極的に出産自体が極めて気持ちよい、快楽的なことであったなら、我々は生存し得たであろうか?恐らく生物学者なら多く進化論的な合目的性に沿って「それはそれで、容易に子孫を儲けられるが故に子孫の数が溢れかえってしまい、早く絶滅していたであろう」と結論するかも知れない。しかしそれは私達人類の女性が陣痛がある、という事実を前提にものを考えるからである。実際はどうなっていたかはやはり定かではないだろう。
精子の数は個数としては無尽蔵であるとさえ言えるのに対し、卵子の数はそうではない。生涯に女性が生める子供の数は男性に比べて明らかに閉経をも考慮に入れると、限りがある。
ここにダーウィンも考えていた性選択の問題も絡むし、性的葛藤の問題も浮上する。
しかしこの様な思惟を可能化することは、まず我々の前に当該の事実が存在し、それを因果論的に過去に遡及する形で考えるという習慣に根差す。仮にqwerty配列を無効化するくらいのもっと今よりずっとずっと便利なキー配列が考案され、それが未来に於いて定着していったとしよう。しかしデヴィッド・ルイス的に発想して、実は既に七十年以上も前にその配列が発見され、それが普及しきっていた世界なるものさえ実在するのだとしたなら、我々の世界とは、その可能世界の中のほんの一例にしか過ぎず、永遠にそんな配列など発見され得ぬ世界と、その世界の住人も、我々には終ぞ出会えぬであろうが、実在するということになる。
しかしもしそういった思惟が恒常化してしまったとして、それが真に我々の未来へと向けられたヴィジョンを持つということに貢献し得るであろうか?
その問題は当ブログには問い続けること自体に余りある命題である(それは今日本ブログで始めた「存在と意味・第二部 日常性と形而上性」に任せておくこととしよう。本ブログは進化論的視座を中心に、あくまで人類学的な考察<限りなく社会学的視点をも導入して>にとどめておきたい。又そうすることによって、ブログ「存在と意味」との協力関係を取り結ぶことが可能であろう)。
しかし本ブログではこの命題が世界にとって意図的であるか否かという査定に於いては他の一切のブログに比して最高度に極めて哲学的な部分もある、とだけは言っておきたい。
確かに目がもっと沢山前後左右に据えつけられてあったなら、我々自身の想像力は今とは全く違ったものになっていただろう。第一後ろに振り返るという身体行為さえ必要ではない。しかしもしそういう風に我々が生まれついていたなら、それはそれで何とかなっている、そしてその事実に日常的には何の疑問も抱かずに、それが当たり前であると信じて生活していただろう。
それはパソコンが普及して、それが当たり前になってしまった我々の生活と同じ様なことであったろう。
かつて司馬遼太郎はエッセイで、もし現代社会に大正時代に生活していた人がいきなりタイムマシンで連れて来られたら、一週間と生きていられないのではないか、と述べていたが、私はそうは思わない。それは今生きている人でさえそういう人達もいるのだから、逆に大正時代から連れて来られた人の個々の性格や資質にも拠るだろう。つまり電子機器などの仕組みから使い方まで関心を持ったり興味を抱いたり出来るタイプの人と、そうではない人とに分かれるだろうし、余りそういうことに普段は関心を持たない人であっても、いざとなったなら、必死に習得する意志を持てる人とそうではない人とに分かれるだけのことではないだろうか?
ジャレド・ダイアモンドの名作著作である「銃・病原菌・鉄」で紹介されたエピソードにqwerty配列のタイプライターの話がある。これは今のパソコンのキー配列である。我々は一度既に慣れ親しんでしまったキー配列に何の疑問も抱かないが、ダイアモンドによると、これは右利きの人にとっては苦痛な配列であるという考えもあったらしい。要するに使用頻度の高いキーが左に集中しているが故に、私は左利きであるが故に何の痛苦も感じないで済んでいるが、本来右利きの人にとっては使い難い筈だ、というのである。
当書によれば「1932年には、技術的問題が解決され、効率的配列のキーボードが開発され、使用者によって速度は二倍、使いやすさも95パーセント向上することが示された。ところが、その頃には、qwerty配列のキーボードが社会的にすでに定着してしまっていた。過去六十年以上にわたって、キー配列を効率化したタイプライターやコンピュータのセールスマンや製造業者によって粉砕されてきている。」(㊦第十三章 発明は必要の母である 倉骨彰訳、草思社刊)
このテクストは1997年の原著であるから、十四年それから更に経っているので、実に七十年以上もの長きにわたって、その慣習的なことに我々の身体感覚は指先からならされてしまっているのである。我々は不便さにも結構耐えられる先験的能力も備えている、ということになる。それは私自身にさえ経験のあることなのである。
例えば私は左利きであるが故にかつて左利き用の挟みを購入したことがあった。しかしそれを利用しようとすると、既に私自身が左でものを切ることを右利きの挟みですることに慣れてしまっていて、既にそれを補正することが困難に感じられてしまっていたのである。つまり一旦慣れてしまったものを、「本来はそちらの方が便利である筈である」ことの方に補正することが容易になされ得る期限というものが一体あるのだろうか?
つまりある時間的時点を越えたら、それは身体的メカニズムによってかなり補正が困難化していってしまうということがあるのだろうか?
その意味では我々人類は既に言語行為を当然のこととして進化してきてしまっているが、ある時点迄なら、或いは今の言語活動よりも「本当は」便利なもっと有効な方法が我々にあった可能性はあるのだろうか?
これはある意味では極めて自然科学的立証を必要とする問いであるが、同時に極めて哲学的問いでもある。何故なら我々は眼が頭の下、額の下に二つ左右にあるという事実に慣れきってしまっているが故に発想し難いことでも、或いは額にも、まさに三つ目小僧の様に目がもう一つあったなら、我々は今とは全く違った(だから容易に現時点でその際にそういう発想をするということを想像し難いことであってさえ)、しかし意外と実現したら、即座に慣れっこ(馴れっこ)になってしまう想像力というものがあるのかも知れない。
それは我々の生殖システムの運命にも当て嵌まる命題である。
例えば通常我々は性行為に快楽(身体的な意味での)を伴う。しかしセックスがもし今の様に我々に感じ取られる気持ち良さが全くなかったなら、我々は果たして子孫を繁栄させてこられたであろうか?
その気持ち悪さ(仮に今の様に快楽ではなく痛苦以外のものではなかったとして)を克服する為の処方を編み出すということ自体を可能化させていただろうか?
それは不可能ではなかっただろうか?あくまで我々は今現在気持ちいいからこそ、もしそれが気持ち悪くなりだしたなら、それを以前の状態に戻そうとするのであって、最初から一度として気持ちよくなかったなら、我々の祖先はその段階で子孫を繁栄させることが出来ず遠からず絶滅していたであろう。そして我々も当然のことながら生存してなどいなかった。
しかし母親は、母体を痛めて出産する。これも確かである。私は男性に生まれたので、終ぞ経験し得ずに生涯を終えることだろうが、陣痛をはじめとする母体の痛苦がもしなかったなら、いやもっと積極的に出産自体が極めて気持ちよい、快楽的なことであったなら、我々は生存し得たであろうか?恐らく生物学者なら多く進化論的な合目的性に沿って「それはそれで、容易に子孫を儲けられるが故に子孫の数が溢れかえってしまい、早く絶滅していたであろう」と結論するかも知れない。しかしそれは私達人類の女性が陣痛がある、という事実を前提にものを考えるからである。実際はどうなっていたかはやはり定かではないだろう。
精子の数は個数としては無尽蔵であるとさえ言えるのに対し、卵子の数はそうではない。生涯に女性が生める子供の数は男性に比べて明らかに閉経をも考慮に入れると、限りがある。
ここにダーウィンも考えていた性選択の問題も絡むし、性的葛藤の問題も浮上する。
しかしこの様な思惟を可能化することは、まず我々の前に当該の事実が存在し、それを因果論的に過去に遡及する形で考えるという習慣に根差す。仮にqwerty配列を無効化するくらいのもっと今よりずっとずっと便利なキー配列が考案され、それが未来に於いて定着していったとしよう。しかしデヴィッド・ルイス的に発想して、実は既に七十年以上も前にその配列が発見され、それが普及しきっていた世界なるものさえ実在するのだとしたなら、我々の世界とは、その可能世界の中のほんの一例にしか過ぎず、永遠にそんな配列など発見され得ぬ世界と、その世界の住人も、我々には終ぞ出会えぬであろうが、実在するということになる。
しかしもしそういった思惟が恒常化してしまったとして、それが真に我々の未来へと向けられたヴィジョンを持つということに貢献し得るであろうか?
その問題は当ブログには問い続けること自体に余りある命題である(それは今日本ブログで始めた「存在と意味・第二部 日常性と形而上性」に任せておくこととしよう。本ブログは進化論的視座を中心に、あくまで人類学的な考察<限りなく社会学的視点をも導入して>にとどめておきたい。又そうすることによって、ブログ「存在と意味」との協力関係を取り結ぶことが可能であろう)。
しかし本ブログではこの命題が世界にとって意図的であるか否かという査定に於いては他の一切のブログに比して最高度に極めて哲学的な部分もある、とだけは言っておきたい。
Wednesday, February 16, 2011
第十四章 人類の転換点から読み取れることPart3 従業員全てにミクロ的視野しか与えぬ部分化する観光都市モデルのメタ名刹と管理支配への欲求
京都は訪れる度に部分化された観光都市であるという印象を強くする。何故なら各名刹が犇き合っているが、個々の名刹は異なった宗派であり、相互不干渉を貫いてきたし、各時代毎の権力者の菩提寺があったりして、要するにそれらが相互不干渉主義的に共存しているからである。
この点更に歴史を遡る奈良は少し違う雰囲気も漂わせている。土塀に隙間が空いていたりして、そこから隣の名刹へも行けるという形で風土的にも自然に全てが融合している。従って京都の風景は四角く視界的に切り取られたトリミングされた世界であり、風景であり、自然なのである。
従ってある区域に犇き合う名刹の位置関係を把握しているのは、以前からその区域に住んできた人達だけである。観光所の人も超有名な名刹以外は地図を広げて調べる。
又名刹に勤める従業員達も必ずしも京都出身者であるとは限らない。従ってキヨスクでもそうであるが、何か京都に関することを尋ねても、即座に返答が齎されることはない。「観光案内所で聞いて下さい」と言われるのがおちだ。
しかしこの様な光景は京都の様な古都観光都市だけではなくなってきた。次第に日本中の全ての衛星指定都市がそうなっているのだ。
かつてある会社の従業員はある地方の人達だけで、つまり自元で固められてきたけれど、今はそうではない。全ての地方の会社でも様々な地方から赴任してきた人達で構成されている。昭和三十年代迄なら、ある会社とか駅の売店のおばさん達は大体その会社や駅近辺の人が働いていた。しかし今は違う。その波は既に昭和四十年代から加速化されてきた。そして今では既にメガロポリス東京の雰囲気は多層化された都市構造となっていて、ある区域で就業する人達の大半は全く別の場所からそこに訪れている。都市自体に地域色とか地方色は急速に失われている(このことは宇野常寛も思想地図βで述べていることでもあるが、彼は郊外にそれを見ている)。
日本中にあるキヨスクの従業員は恐らくそんなに遠くから勤めているわけではないだろうが、キヨスクから自宅までの点から点への経由する路線だけは把握していても、キヨスクを取り囲む、例えば東京の新宿区のあらましに就いては殆ど知らないということも稀ではない。第一キヨスクに勤務していたなら、駅構内のことくらいは分かっても、駅を一歩外に出た後の街のことまでは知らないということがあっても可笑しくはない。
これは就業している職業行為習慣にも拠る。営業パーソンならかなり多くの区域を足で確めているだろうから、かなり道に関しては詳しいが、一箇所に留まって勤務する人達はそうではない。従って飲食店勤務者もそうである筈だ。
就業時間を終えて尚同じ街で飲みに行くとは限らない。新宿から和光市まで帰宅するとしたら、途中の池袋で立ち寄るという習慣の従業員もいるだろうからだ。
これは一重に交通機関の発達によって容易に隣接する都市から働きにこれるという事情にも拠る。つまり一箇所での労働力は多くの地域、地方から構成されるという現実を容易にした。しかもその上にネット情報で日々新たな職を求めて全国から人々が彷徨って来るわけだから尚更である。
従って観光都市は勢い、名刹の過去のイメージを出来る限り保存しようとする意識的な、意図的な努力によって、次第に地元空間ではなく、地元の過去のイメージを恣意的に構成するという意図を、その観光都市で就業している人達(隣接する都市や、もっと離れた都市から来る人達)によって付与され、次第にメタ地元になっていく。そして各名刹もメタ名刹になっていく。
この意図的な商業戦略自体を私は「部分化する観光都市モデル」と呼ぼうと思う。だから当然各名刹に於いてその戦略構成に参画加担している従業員は、ミクロ的にしか自分が就業している名刹の町に就いては知り得ない。つまり就業者と、その地元民との間に感覚的なずれが来たすのである。
するとメタ名刹を抱えた観光都市は、次第にメタ名刹を巡る文化財保護の名目に於いて、地元民の意見や考えとは別箇の形で地方交付税確保術的な管理支配が蔓延っていくこととなる。そして地元民はそういった部分化された観光都市モデルとメタ名刹保護という形で税金を徴収されることとなる。
日本の全ての法人、組織、会社は既に地方色はない。だからある会社が立地している都市自体の知識に従業員自身が疎い、暗いということは通常のことである。そこで都市案内所が各所に設けられていて、その従業員も別の都市から来ている。つまり都市空間全体が完全に日本国内でのコスモポリタンになっていき、各都市の地域、区域色は脱色される。それが現代の都市構造の顕著な特徴である。
全ての企業、名刹はメタ化されている。メタ企業化されたカラーで動いている。ブランドだけが残る。それは我々の耳に過去の記憶を呼び覚ますからだ。
部分化された観光都市モデルが大都会を更に複雑化している。人間が就業している空間だけは都市面積が拡張されていないのに比して飛躍的に伸びている。地下空間、地上空間が多層化している(地震が起きたら一体どうなるのだろう?)。
しかも隣接する店が何をしているかは開店してから、前の店舗が去ってから後に知ることとなる。街全体は既に管理支配から、メタ管理支配化している。つまり部分論的な都市空間のシンボルを保全することに政治家達は躍起で、都市全体を俯瞰する能力も権限も持たない。都市計画の不可能性をも示している。又部分化する観光都市モデルをイメージとして維持していく政治家の方が尊ばれる。例えば東京都知事とは、東京の都市空間維持の為の業務と、地元民の為の利益を供与する業務とでは著しく乖離している。従業員にとっては都市空間が便利でさえあればいい。しかし地元民は暮らしやすさを求める。そこに対立が生じる。結局地元民に経済力があれば、そちらに利益が回ってくるが、企業の方が金があれば、そちらの利害が優先される。又地方都市では、地元に根を張った大企業が居座ってくれるお陰で飲食店は儲かり、関連中小企業は儲かる。しかしそのことと自らが居住する家屋を所有した市民や区民、町村民とでは、やはり利害が対立する。稀に重複することはあっても、それは概して経済力の乏しい人達が工場などがあることによって工員の為のアパートなとに住めるということで、或いは飲食店や小売商達が利害を一致させているだけである。
つまりもっと遠い都市へと働きに出ている人達の利害は又別である。僅か自由業者達がこの両者の対立に対して中立的立場にいられるに過ぎない。
メタレヴェルでの都市イメージの維持は、意味化された都市空間であり、観光地方のイメージ戦略であり、他地方から観光客を呼び寄せる戦略となっている。そしてメタ名刹や部分化された観光都市モデルは、次第に全国を席捲していき、無個性化していってしまう。僅かに旧来から保全されてきた家屋や名刹の建造物が歴史を彷彿させるだけである。
この地方政治、観光都市型政治モデルは、歴史の、歴史的イメージの形而上化された結果である。そして地元民の住み心地とか住み安さよりは、そういったメタ化、形而上化された観光都市モデルの維持の方に行政も、企業経営も傾斜していくという運命に現代都市はある、と言える。
では一体その様な無個性化されつつある現代都市空間の中で我々は如何に寛ぎを見出していくのだろうか?そのことに就いて次章では考えてみたい。
この点更に歴史を遡る奈良は少し違う雰囲気も漂わせている。土塀に隙間が空いていたりして、そこから隣の名刹へも行けるという形で風土的にも自然に全てが融合している。従って京都の風景は四角く視界的に切り取られたトリミングされた世界であり、風景であり、自然なのである。
従ってある区域に犇き合う名刹の位置関係を把握しているのは、以前からその区域に住んできた人達だけである。観光所の人も超有名な名刹以外は地図を広げて調べる。
又名刹に勤める従業員達も必ずしも京都出身者であるとは限らない。従ってキヨスクでもそうであるが、何か京都に関することを尋ねても、即座に返答が齎されることはない。「観光案内所で聞いて下さい」と言われるのがおちだ。
しかしこの様な光景は京都の様な古都観光都市だけではなくなってきた。次第に日本中の全ての衛星指定都市がそうなっているのだ。
かつてある会社の従業員はある地方の人達だけで、つまり自元で固められてきたけれど、今はそうではない。全ての地方の会社でも様々な地方から赴任してきた人達で構成されている。昭和三十年代迄なら、ある会社とか駅の売店のおばさん達は大体その会社や駅近辺の人が働いていた。しかし今は違う。その波は既に昭和四十年代から加速化されてきた。そして今では既にメガロポリス東京の雰囲気は多層化された都市構造となっていて、ある区域で就業する人達の大半は全く別の場所からそこに訪れている。都市自体に地域色とか地方色は急速に失われている(このことは宇野常寛も思想地図βで述べていることでもあるが、彼は郊外にそれを見ている)。
日本中にあるキヨスクの従業員は恐らくそんなに遠くから勤めているわけではないだろうが、キヨスクから自宅までの点から点への経由する路線だけは把握していても、キヨスクを取り囲む、例えば東京の新宿区のあらましに就いては殆ど知らないということも稀ではない。第一キヨスクに勤務していたなら、駅構内のことくらいは分かっても、駅を一歩外に出た後の街のことまでは知らないということがあっても可笑しくはない。
これは就業している職業行為習慣にも拠る。営業パーソンならかなり多くの区域を足で確めているだろうから、かなり道に関しては詳しいが、一箇所に留まって勤務する人達はそうではない。従って飲食店勤務者もそうである筈だ。
就業時間を終えて尚同じ街で飲みに行くとは限らない。新宿から和光市まで帰宅するとしたら、途中の池袋で立ち寄るという習慣の従業員もいるだろうからだ。
これは一重に交通機関の発達によって容易に隣接する都市から働きにこれるという事情にも拠る。つまり一箇所での労働力は多くの地域、地方から構成されるという現実を容易にした。しかもその上にネット情報で日々新たな職を求めて全国から人々が彷徨って来るわけだから尚更である。
従って観光都市は勢い、名刹の過去のイメージを出来る限り保存しようとする意識的な、意図的な努力によって、次第に地元空間ではなく、地元の過去のイメージを恣意的に構成するという意図を、その観光都市で就業している人達(隣接する都市や、もっと離れた都市から来る人達)によって付与され、次第にメタ地元になっていく。そして各名刹もメタ名刹になっていく。
この意図的な商業戦略自体を私は「部分化する観光都市モデル」と呼ぼうと思う。だから当然各名刹に於いてその戦略構成に参画加担している従業員は、ミクロ的にしか自分が就業している名刹の町に就いては知り得ない。つまり就業者と、その地元民との間に感覚的なずれが来たすのである。
するとメタ名刹を抱えた観光都市は、次第にメタ名刹を巡る文化財保護の名目に於いて、地元民の意見や考えとは別箇の形で地方交付税確保術的な管理支配が蔓延っていくこととなる。そして地元民はそういった部分化された観光都市モデルとメタ名刹保護という形で税金を徴収されることとなる。
日本の全ての法人、組織、会社は既に地方色はない。だからある会社が立地している都市自体の知識に従業員自身が疎い、暗いということは通常のことである。そこで都市案内所が各所に設けられていて、その従業員も別の都市から来ている。つまり都市空間全体が完全に日本国内でのコスモポリタンになっていき、各都市の地域、区域色は脱色される。それが現代の都市構造の顕著な特徴である。
全ての企業、名刹はメタ化されている。メタ企業化されたカラーで動いている。ブランドだけが残る。それは我々の耳に過去の記憶を呼び覚ますからだ。
部分化された観光都市モデルが大都会を更に複雑化している。人間が就業している空間だけは都市面積が拡張されていないのに比して飛躍的に伸びている。地下空間、地上空間が多層化している(地震が起きたら一体どうなるのだろう?)。
しかも隣接する店が何をしているかは開店してから、前の店舗が去ってから後に知ることとなる。街全体は既に管理支配から、メタ管理支配化している。つまり部分論的な都市空間のシンボルを保全することに政治家達は躍起で、都市全体を俯瞰する能力も権限も持たない。都市計画の不可能性をも示している。又部分化する観光都市モデルをイメージとして維持していく政治家の方が尊ばれる。例えば東京都知事とは、東京の都市空間維持の為の業務と、地元民の為の利益を供与する業務とでは著しく乖離している。従業員にとっては都市空間が便利でさえあればいい。しかし地元民は暮らしやすさを求める。そこに対立が生じる。結局地元民に経済力があれば、そちらに利益が回ってくるが、企業の方が金があれば、そちらの利害が優先される。又地方都市では、地元に根を張った大企業が居座ってくれるお陰で飲食店は儲かり、関連中小企業は儲かる。しかしそのことと自らが居住する家屋を所有した市民や区民、町村民とでは、やはり利害が対立する。稀に重複することはあっても、それは概して経済力の乏しい人達が工場などがあることによって工員の為のアパートなとに住めるということで、或いは飲食店や小売商達が利害を一致させているだけである。
つまりもっと遠い都市へと働きに出ている人達の利害は又別である。僅か自由業者達がこの両者の対立に対して中立的立場にいられるに過ぎない。
メタレヴェルでの都市イメージの維持は、意味化された都市空間であり、観光地方のイメージ戦略であり、他地方から観光客を呼び寄せる戦略となっている。そしてメタ名刹や部分化された観光都市モデルは、次第に全国を席捲していき、無個性化していってしまう。僅かに旧来から保全されてきた家屋や名刹の建造物が歴史を彷彿させるだけである。
この地方政治、観光都市型政治モデルは、歴史の、歴史的イメージの形而上化された結果である。そして地元民の住み心地とか住み安さよりは、そういったメタ化、形而上化された観光都市モデルの維持の方に行政も、企業経営も傾斜していくという運命に現代都市はある、と言える。
では一体その様な無個性化されつつある現代都市空間の中で我々は如何に寛ぎを見出していくのだろうか?そのことに就いて次章では考えてみたい。
Tuesday, February 1, 2011
第十三章 人類の転換点から読み取れることPart2
現代社会の実相はある意味では相手の出方に対して裏をかく仕方が極自然であるか否かということが勝負を決すると言える。要するにウィンドサーフィンの波乗りのタイミングに近い。
IT業界に於ける世界的潮流はその波乗り的なタイミングによって勝敗を決してきた。例えばアップルは元祖のパソコンメーカーであるが、方式のユニヴァーサリティ自体はマイクロソフトに大きく水を開けられた。そのマイクロソフトに続いて成功を収めたのはグーグルだった。マイケル・シュミットの検索システム、ポータルサイトビジネスは世界的成功を収めた。しかしその後発組として最も成功を収めたのはアップルであった。i-Podやi-Padに於いてパソコンと携帯電話との連携プレイを確固としたユーザーニーズに直結した功労はアップルに軍配が上がる。しかし創業者でCEOであるスティーヴ・ジョブズの病気が原因で、株式相場が急落した。当然生き馬の目を抜く当業界では、フェイスブックのマイク・ザッカーバーグが日本でミクシーが先見の明があった様な意味で特権的アイデンティフィケーションシステムとして世界に先駆けた。
要するにあるコンセプトやアイデアは端的に前時代の通念や常識の範囲から少しだけ逸脱することによって達成される。つまりマイクロソフトとグーグル、フェイスブックへのヒーローのバトンタッチ劇の間には重要な出来事があった。それはホームページからブログへの時代的移行、そしてツイッターの登場であった。
ブログは無料のシステムだし、ツイッターは匿名的参加を可能化するシステムであり、現在進行形的な仕方で参入することが出来る。しかしそれが定着すると次第に特権化された閉じたコミュニティもあっていいという見解が出る。それがフェイスブックであった。
似たことは文壇にも画壇にも詩壇にも俳壇にもあり得る。ある一人のカリスマ的な独断的毒舌家が三年から五年間世間を席捲したとしよう。すると次第に反社会性と反アカデミズムへの戦略的スタンスは世間一般に定着していく。例えば最近ではオタク的なアートがすっかり定着してしまった。その中で荒木経惟や森村泰昌、かつて異端的であったフランシス・ベーコンがすっかりオーソドックス的地位を獲得していった。
異端的地位であったアートや写真やパフォーマンスが一定の社会的地位を獲得するに従って我々は次第にある種の表現的スタティズム、つまり本来のオーソドックスを求め始める。最初は潜在的に次第に顕在的に。そこでアートでも映像でも写真でも、「本来本流とか主流とは何であったか」というクウェッションが提示される様になる。
そこで我々は今主流化して定着したかつての異端を異端化していた主流自体が既に傍流化してしまっている事実へと覚醒する。
チュニジアの政権転覆を招聘したのがツイッターやフェイスブックであったことは記憶に新しいし、それが飛び火してエジプトのムバラク政権転覆へと民衆のパワーは炸裂している。これらの政治的メインストリームをメインストリームにしているのは、ある部分ではノーベル平和賞の劉暁波氏受賞劇であり、Wikileaksでもあった。
世界が既に管理者、統括者の手から一般民衆の無言のネットインフォメーションへと移行しつつある。そしてある経営者が、日本ではユニクロの様にある種の巧い時代の波乗りサーフィンの様にニーズの谷間を掻い潜る様な臨機応変なタイミングを虎視眈々と狙っている。しかし当然のことながら、自分の資質に見合った形でしかその波乗りに参画することは出来ない。あくまで何か起業することを奮発させるモティヴェーションは自分の時代全体への憤懣やるかたなさから発生する。時代の迎合は短期間しか功を奏さない。
本来的オーソドックスも異端性も常に一定期間を個々持続させながら反復する。勿論あるモードが前時代のモードの再来であったとしても正確には相同ではない。恐らく少しだけずれている。70年代に流行したミニスカートと相同のスタイルが再燃することはないだろう。それは各分野毎の専門的知による時代毎の決定がある。
少なくとも現代社会では上から目線的な管理統轄システムが瓦解しつつあるとだけは言えよう。それは一旦最下層から反目的な眼差しを獲得したら、どんなに清廉なモティヴェーション保持者であれ、権力基盤ががたがたになっていくであろう、ということだけは確かである。
アート界ではかつれレオ・キャステリー・ギャラリーが最前線であったが、今ではガゴシアン・ギャラリーがアルベルト・ジャコメッティ、草間弥生、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、ダミアン・ハースト、村上隆といった第一線、或いは古典的アーティストを扱っている。この種のギャラリートップポジションの世代交代劇は頻繁に起きている。彼等は常に最前線自体が何に照準を合わせるべきかだけを模索している。
それはある意味では時代が彼等全体の手によって恣意的に作られてきているということを意味する。只政治的宗教的にはアメリカの影響力が弱体化しているにも関わらず相も変わらずアート市場はアメリカ主導型であることが一つの大きな矛盾点となっているのは、政治的バランスと文化的位相とのずれであろう。つまりその政治宗教的世界動向と、そのムーヴメントを尻目に展開される一種の文化的発信力自体の二重性が、今日の現代社会の矛盾でもあるし、可能性でもある。つまりアメリカのIT産業全体のクライアント的な誘引力は既に米国外的であるし、常にアジアであり中東でありアフリカであり南米である。
ヒズボラ、ハマス、アルカイダ、アルジャジーラといったイスラム圏的ムーヴメント自体が今後フェイスブックやWikiLeaksとどう連携プレイを演じていくかということも見ものである。
それは主流と傍流の二極乖離的二元論から、次第に主流と傍流の相互共存、主流と傍流の多元化と、ロールプレイング自体の交代的な反復といった複雑化した展開だけが期待出来る、ある部分では予想のつかなさ、それは多分に刻々と推移しつつある偶発的イヴェントの類発性だけが今後の展開を推測し得るところの反ケインズ理論的な展開が世界的規模で顕在化している人類の転回点、或いは転換点から微視的変化への覚知的未来予想を各人に強いる時代の到来と位置づけることも可能である。
つまり大局ということが成立し難い状況下で常にオタク的ニーズ全てを捨てずに持ち駒として温存していくそのストックメンテナンスが我々に多様的な価値を再認させてくれる様なシステムである。要するに簡単に選択肢を狭めるなということと、容易に見通しを効かすことの出来なさが偶発的イヴェントの持つ次代への展開可能性を見逃すな、ということである。それは絶交のタイミング自体が常に推し量れないという諦念の受容であり、タイミングを無視して遂行しつつ、時として成果が顕在化してきた時だけ指揮権発動するということと言おうか?
IT業界に於ける世界的潮流はその波乗り的なタイミングによって勝敗を決してきた。例えばアップルは元祖のパソコンメーカーであるが、方式のユニヴァーサリティ自体はマイクロソフトに大きく水を開けられた。そのマイクロソフトに続いて成功を収めたのはグーグルだった。マイケル・シュミットの検索システム、ポータルサイトビジネスは世界的成功を収めた。しかしその後発組として最も成功を収めたのはアップルであった。i-Podやi-Padに於いてパソコンと携帯電話との連携プレイを確固としたユーザーニーズに直結した功労はアップルに軍配が上がる。しかし創業者でCEOであるスティーヴ・ジョブズの病気が原因で、株式相場が急落した。当然生き馬の目を抜く当業界では、フェイスブックのマイク・ザッカーバーグが日本でミクシーが先見の明があった様な意味で特権的アイデンティフィケーションシステムとして世界に先駆けた。
要するにあるコンセプトやアイデアは端的に前時代の通念や常識の範囲から少しだけ逸脱することによって達成される。つまりマイクロソフトとグーグル、フェイスブックへのヒーローのバトンタッチ劇の間には重要な出来事があった。それはホームページからブログへの時代的移行、そしてツイッターの登場であった。
ブログは無料のシステムだし、ツイッターは匿名的参加を可能化するシステムであり、現在進行形的な仕方で参入することが出来る。しかしそれが定着すると次第に特権化された閉じたコミュニティもあっていいという見解が出る。それがフェイスブックであった。
似たことは文壇にも画壇にも詩壇にも俳壇にもあり得る。ある一人のカリスマ的な独断的毒舌家が三年から五年間世間を席捲したとしよう。すると次第に反社会性と反アカデミズムへの戦略的スタンスは世間一般に定着していく。例えば最近ではオタク的なアートがすっかり定着してしまった。その中で荒木経惟や森村泰昌、かつて異端的であったフランシス・ベーコンがすっかりオーソドックス的地位を獲得していった。
異端的地位であったアートや写真やパフォーマンスが一定の社会的地位を獲得するに従って我々は次第にある種の表現的スタティズム、つまり本来のオーソドックスを求め始める。最初は潜在的に次第に顕在的に。そこでアートでも映像でも写真でも、「本来本流とか主流とは何であったか」というクウェッションが提示される様になる。
そこで我々は今主流化して定着したかつての異端を異端化していた主流自体が既に傍流化してしまっている事実へと覚醒する。
チュニジアの政権転覆を招聘したのがツイッターやフェイスブックであったことは記憶に新しいし、それが飛び火してエジプトのムバラク政権転覆へと民衆のパワーは炸裂している。これらの政治的メインストリームをメインストリームにしているのは、ある部分ではノーベル平和賞の劉暁波氏受賞劇であり、Wikileaksでもあった。
世界が既に管理者、統括者の手から一般民衆の無言のネットインフォメーションへと移行しつつある。そしてある経営者が、日本ではユニクロの様にある種の巧い時代の波乗りサーフィンの様にニーズの谷間を掻い潜る様な臨機応変なタイミングを虎視眈々と狙っている。しかし当然のことながら、自分の資質に見合った形でしかその波乗りに参画することは出来ない。あくまで何か起業することを奮発させるモティヴェーションは自分の時代全体への憤懣やるかたなさから発生する。時代の迎合は短期間しか功を奏さない。
本来的オーソドックスも異端性も常に一定期間を個々持続させながら反復する。勿論あるモードが前時代のモードの再来であったとしても正確には相同ではない。恐らく少しだけずれている。70年代に流行したミニスカートと相同のスタイルが再燃することはないだろう。それは各分野毎の専門的知による時代毎の決定がある。
少なくとも現代社会では上から目線的な管理統轄システムが瓦解しつつあるとだけは言えよう。それは一旦最下層から反目的な眼差しを獲得したら、どんなに清廉なモティヴェーション保持者であれ、権力基盤ががたがたになっていくであろう、ということだけは確かである。
アート界ではかつれレオ・キャステリー・ギャラリーが最前線であったが、今ではガゴシアン・ギャラリーがアルベルト・ジャコメッティ、草間弥生、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、ダミアン・ハースト、村上隆といった第一線、或いは古典的アーティストを扱っている。この種のギャラリートップポジションの世代交代劇は頻繁に起きている。彼等は常に最前線自体が何に照準を合わせるべきかだけを模索している。
それはある意味では時代が彼等全体の手によって恣意的に作られてきているということを意味する。只政治的宗教的にはアメリカの影響力が弱体化しているにも関わらず相も変わらずアート市場はアメリカ主導型であることが一つの大きな矛盾点となっているのは、政治的バランスと文化的位相とのずれであろう。つまりその政治宗教的世界動向と、そのムーヴメントを尻目に展開される一種の文化的発信力自体の二重性が、今日の現代社会の矛盾でもあるし、可能性でもある。つまりアメリカのIT産業全体のクライアント的な誘引力は既に米国外的であるし、常にアジアであり中東でありアフリカであり南米である。
ヒズボラ、ハマス、アルカイダ、アルジャジーラといったイスラム圏的ムーヴメント自体が今後フェイスブックやWikiLeaksとどう連携プレイを演じていくかということも見ものである。
それは主流と傍流の二極乖離的二元論から、次第に主流と傍流の相互共存、主流と傍流の多元化と、ロールプレイング自体の交代的な反復といった複雑化した展開だけが期待出来る、ある部分では予想のつかなさ、それは多分に刻々と推移しつつある偶発的イヴェントの類発性だけが今後の展開を推測し得るところの反ケインズ理論的な展開が世界的規模で顕在化している人類の転回点、或いは転換点から微視的変化への覚知的未来予想を各人に強いる時代の到来と位置づけることも可能である。
つまり大局ということが成立し難い状況下で常にオタク的ニーズ全てを捨てずに持ち駒として温存していくそのストックメンテナンスが我々に多様的な価値を再認させてくれる様なシステムである。要するに簡単に選択肢を狭めるなということと、容易に見通しを効かすことの出来なさが偶発的イヴェントの持つ次代への展開可能性を見逃すな、ということである。それは絶交のタイミング自体が常に推し量れないという諦念の受容であり、タイミングを無視して遂行しつつ、時として成果が顕在化してきた時だけ指揮権発動するということと言おうか?
Sunday, January 16, 2011
第十二章 人類の転換点から読み取れることPart1
人類が進化論的に発生してから今日までの間に様々な一大転換があったと考えることは間違いではないだろう。只その文節点がどの時代、どの生物学的年代にあるかとずばり特定することは色々な意味で困難である。一つには何を規準に転換してきたかという査定自体が極めて主観的な判断しか出来ず、もう一つはその転換された年代特定の極めて困難であるという認識事実からである。
さてここで私なりに一つの仮説を立てみたい。それはこういうことである。
まず人類が人類であることを証明する重要な転換点とは人類が意思疎通し合える言語を保有し始めた事実がある。それを第一の転換点としよう。
するとその次は様々な異論もあろうが、人類が誰しも何時かは死滅するという死に対する自覚を誰しもが抱き、その事実故に内包してしまう死への不安と情緒不安定の解決の為に何らかの宗教倫理性を獲得するということ、人生全体を意義化し得る倫理を携える様になっていった転換点が考えられる。これを第二の転換点としよう。
それと相前後し、どちらが先とは言えないものの、否言語獲得とさえ同時期かも知れない、何らかの形での交易をする様になっていった人類の転換点を第三の転換点と呼ぼう。
実はこのことは商行為や果ては何らかの形で物品に対する代理機能であるところの貨幣経済の移行をも含めてである。私自身の推察と仮説ではかなり古い時期から既に貨幣の代わりとなり得るものの使用はあったと考えた方が、よりその後の歴史を鑑みると理解しやすいと思われるし、又言語行為や宗教倫理性もそういった行いと不可分であると捉える方がより自然ではないだろうか?
さて次に何が起こるかというと、やはりそれは国家という体裁が整ったということではないだろうか?これを第四の転換点と呼ぼう。
実は近年商行為、交易よりも国家の方が後だったという考えが大分定着してきたのでこれを第四の転換点としたい。これはある意味では近代の欧州の王政とは異なっていても、やはりその礎となる様な或る種の絶対権力の形成と考えることは理に敵っているのではないか?つまり何らかの支配層、例えば日本であるなら天皇家の確立とかそれに類することは世界各地であったであろう。
それ以後の転換点ということを考えると、かなり多文化的、多様な展開が人類史上起きたので、実はそれ以前のよく歴史の展開自体が不明であることと違って明白なことも多くなるのでその二つの別種の歴史的展開を心理的に公平に見ることも困難化する。
そこで大きく捉まえると、やはり産業革命による大量生産技術の発明などを第五の転換点とすべきではないだろうか?(尤もグーテンベルグの印刷技術の発明はそれ以前であるし、それも大きなことであるが、それをもここでは網羅して考えていこう)つまりワットやスティヴンソンによる蒸気機関その他、或いはエジソンによる電球の発明など、それ等が人間知性として集積された形でフォードによる自動車の発明、それ以後新聞の発明、ラジオ、テレビの登場、そしてコンピューターの歴史へと移行し、現代へと至るわけだ。
ここで考えるべきはどの転換点が一番重大であったかということではない。つまり重要な捉え方とは、どの転換点もそれなりに何らかの形で人類に於ける根底的な意味での発想とか考え方とか習慣を変えてきたということである。つまり生物学的には恐らくDNAレヴェルでは人類は言語獲得以前とそれ以後ではそう変わりないだろうし、そういった意味では人類という種の発生から今日まで然程の変化は生物学的にはない。
しかしにも関わらずある部分では極めて我々自身の行為に大きな変革を齎したであろうことは、今迄述べてきた全ての転換点では行為としての習慣に大幅な転換を齎したであろうということである。つまり考え方の変化、行為習慣の変化自体が今迄述べてきた転換点を境にがらりと変わることは大いにあり得る。
言語行為のなかった時代からある様になった時代では、既に情報摂取という意味合いから激変がある。つまり無駄な労力が極度に節約出来る。それは今日の様にブログ、ツイッター、フェイスブックなどが登場する時代にまで共通して言えることである。全く知人のいない人と大勢の知人のいる人とでは情報摂取的な意味では大きな差がある。
それと同じくらいに人間の生涯は必ず終わりもある。つまり死というものの自覚のあるかないかでは、大きな違いが生じる。それは生全体の意味、意義をどう捉えるかという発想の転換が必要となる。死を理解出来ない内は或いは言語行為さえ可能ではないという見方も成立し得るが故に、第一の転換点と第二の転換点もほぼ同時期であったという考えもあっておかしくはない。その意味では私が述べたこの転換点の仮説は前後関係自体厳密なものではない。
東浩紀の考える様に現代社会のツイッターなどに皆が参加して誰しもが意見を言える様になってきたこの変化を、かつて一部の人達だけが、つまり端的にエリートとかインテリ達だけが意見をする権利があった時代にあった、要するに確立された意味の世界から、欲望自体が露出した時代、つまり意思疎通欲求自体の方が意味よりも重視される時代、即ち人類の最初の転換点と私が設定した時代精神に立ち戻ったと捉えることも可能である。
しかし現代社会のこの大きな変化はそれ以前的にはやはり新聞、テレビなどが登場したということを基礎にしている。その情報網の確立の上で成立した一つの文明的転換点が現代なのかも知れない。
例えば我々は車のない社会というものを想像し難い。その意味ではフォードが車を発明したばかりの頃の人類は今の様な完全なる車社会の到来を予想し得た人はいただろうが、実際に現代の様になるなどとまでは想像出来なかった人も大勢いた筈だ。
それは映像に関しても言える。例えば最初に工場から人が出て来る姿を映した映画を上映したリュミエール兄弟による蒸気機関車の映像を見た観客は席から立ち上がって逃げ出した(蒸気機関車が迫り来る映像が機関車の前方から撮影されたものだったが故に)。しかし今現在どんな凄い映像を見せられてもそうする者はいない。
それを考えると、我々は行為習慣というものを慣れという形で、記憶に留め、それは端的に一々愕かないということに尽きる。現在パソコンを利用することを便利だと新鮮な感動を味わう人は極めて少ないであろう。それは自動車を見慣れたことと同じである。
と言うことは今現在大半の情報を本だけで得ている人、或いはそれ以外ではテレビに頼り切っている人と、パソコンも多いに活用している人との間で大きなデジタルディヴァイドがある様な意味での個人毎の差は大きくなりつつあるとは言えるだろう。
例えば今は未だツイッターをしていない人、ブログもしていない人もいるだろう。しかし後十数年経てば、恐らく今現在車を生涯で一度も見たことのない人が皆無である様な意味で、既にインターネットだけでなく全てに於いてそういう人自体が消滅しよう。
そして私が想像する数十年後には最早後戻りはしない様になっていくであろう変化とは、国家観というものである。私の想像がもし正しければ、恐らくその転換点が第六の転換点である。それは国家以前の個人という考えの徹底化である。
例えば私達は生まれて直ぐに両親とか育ての親とかそれに類する年長者の行為を観察する。そして次第に言語秩序から意思疎通欲求を発現して意思疎通する様になる。これは発達心理学、現象学その他に於いても既に多く考えられてきた。
しかし次第に公的であるとはどういうことであるかということで、地域社会を皮切りに国家とか民族ということを考えていく様になる。その意味では民族は消滅しないだろう。これは永遠に続行されるに違いない。
しかし国家観はそれとは別箇に極めて大きな変化を来たしていくことだろう。それは別ブログ「トラフィック・モメント」や「Nameless-valueの考えてみたいこと」でもかなり頻繁に論じてきたことなのだが、政府や国家の支配自体がかつての様に万能である様な状態は既に維持しきれなくなってきているということである。
それを象徴化する事件こそが尖閣列島中国漁船衝突事故映像の流出事件であったし、一連のWkikLeaks事件であった。
人間の行為習慣は言語行為が常習化することで、完全自立から協力体制へと移行していった様に、様々なテクノロジーの発明や開発によってがらりと変わる。今東京から大阪まで徒歩で旅する人は、そういう敢えてするトライアル(それは自転車などで日本一周する様な意味で)以外ではあり得ない。従って交通機関が当たり前になって以降の人類は電車を利用するという行為が当然の行為となり、驚きは消滅している。それと同じことはパソコンでも言える。既にアマゾンなどで商品を購入すること自体に我々は愕きを示さなくなった。それは情報摂取でもそうだ。恐らく今の二十代の人達が老人に近づく時代では既に情報摂取の仕方自体が多様化し、今現在のテレビは既に今現在の映画よりももっと後退し、弁士が活躍した時代の無声映画にさえ近くなっていることだろう。
それは要するに今現在のレコードの様な地位になっているだろうということだ。
そしてその変化は恐らく国家観とか経済圏観自体を大幅に変更させるだろう。
勿論先程も述べた様に我々日本民族もその文化習俗も消滅はしない。神社仏閣も古事記日本書紀や、万葉集、古今新古今和歌集などの文学的伝統や花伝書などの能、狂言、歌舞伎、浮世絵といった全ての偉大な日本文化は残存し、長く貴重なものとして捉えられ続けよう。しかしそういった文化的器を今迄は盛ってきた国家観自体は大幅に変更される、否今現在の様な形ではなくなるだろう、ということは想像出来る。
一つには第三の転換点であった交易、商行為の在り方自体が、情報摂取を基軸に展開していくだろうからである。例えばこれ迄(パソコン登場以前)は概ね買い物とは商品を目の前に見てそれを購入していた。しかし今では既に商品自体の情報をパソコンその他で認知しておいて、然る後、安価で情報摂取手段であるパソコンを通して購入する、しかも世界各地から容易に物流システムを利用して行うということが常習化している。
この変化は実は極めて大きなことである。この変化は既に農産物自体が世界各地から全世界へと配送されるシステムの確立によってある程度予想され得ていた。
次第に物流システム自体の前では国境は無化されつつつある(否既に消滅している)。
確かに言語、文化といった面から人類は日本民族には固有の考え方の遺伝子とか神社仏閣に赴いた時にする行為習慣など(初詣などを含めて)変わりなく永続しよう。
しかしそれを盛る容器としての国家観は大幅に変更を余儀なくされる。例えば政府の持つ権限とはそれ自体かつてとは比べものもないくらいに激変してきている。
その一つが私が他のブログ(「トラフィック・モメント」や「Nameless-valueの考えてみたいこと」など)で大きく取り上げてきたマスコミ、マスメディアである。これまでは既にマスコミ、マスメディアが自然と同じくらいに我々の生活に愕きを齎さぬものとして否定的媒体として、或いは批判対象として取り扱ってきた。勿論マスコミ、マスメディア自体は批判され続けるべきものではある。しかしそれは消滅していいものではない。
その意味では話を戻すが、政治自体が既にマスコミ、マスメディアから別箇に独立した権力を保持し得たのは、戦時中の特殊な時代を除いて、新聞とテレビが登場して以降は一度としてなかったと言ってよい。そしてその傾向はここ数年でも益々極まってきている。
一番顕著なことは、小泉政権以降日本でも極めて政治家が多弁、饒舌化してきたということだ。これは総理によるぶら下がり会見などが常習化していったのと期を一にしているのだが、要するにかつての談合主義的な様相は影を掠め、次第に政治行為自体が密室行為から完全に離脱してきたと言うことが出来る。このことは小泉流ワンフレーズポリティックという考え方自体が、小泉竹中経済政策路線の功罪とは別箇に常識化したと言うことが出来る。既に政治家はNHKで放映される国会中継での発言の仕方からその井出達から何から何まで演出を要求されている。これは戦後直後の世界ではあり得なかったことである。
つまり端的に政治、政府、国家が経済、文化活動から何から何まで動かすということ自体が不可能化してきているということを意味する。
政治が国家や国民を動かすということは実は古来より幻想であったとも言える。しかし少なくとも産業革命期から大量生産が可能化して以降、GNP、或いはGDPという形で国家百年の計的な意味合いで論じられてきた様に、ある程度それ相応の政治的支配とか国家統率的論理は最近まで通用した。しかし我々は本論タイトルにある様に、意図的であるか非意図的であるかに関わらず、既にあらゆる世界市民にある程度平等に捧げられている情報自体が人々の生活習慣から何から何までも規定する行為習慣、そして政治や経済まで操作しているということは問うまでもない。情報摂取は既に欲求でも欲求駆動でもない。それ自体が我々の行為を規定する。これは我々が最初の転換点である言語獲得と同じくらいの重みを持っている。既に政治家、とりわけ国会議員はかつての貴族院議員的ステイタスである。
政治は情報と我々自身による情報摂取行為習慣が齎す。そして各地農産物や水産物全体の物流を統括するのも世界気候的情報である。そうなってくると、必然的に国家という形で纏まっていた共同体が地域性と地方の特殊性に対する理解と情報の共有という形に変質してきているので、当然国家という体裁は二の次となっていく。
勿論今でも問題化してきている北朝鮮問題の様に国家観の軋轢は存在し続けよう。しかし例えば軍事的プレゼンス自体も、仮に日本が憲法改正をして自衛隊を自衛軍としても(今現在の政権の仕方では大分遠退いているとは言え)尚、それはかつての様な国家対国家の全面戦争を可能化する様なものではないだろう。
何故ならそういったことをするメリットがどの国家にも見当たらないし、どの為政者にもないからである。だが当然何時の時代にもテロリストもいるだろうし、国家転覆を狙う輩も登場する。従って世界の軍事プレゼンス自体が消滅することはないだろう。しかしにも関わらず恐らく私の想像では徐々に核兵器保有による抑止力行使自体が無意味化していくのではないだろうか?つまり核兵器自体の維持には莫大の負担もかかるし、これ迄にそうであった様な意味で世界環境問題の観点から言ってもデメリットが大きい。従って我々の手によって少しずつそれらの維持の無意味観が立証されるに従って最低限の軍事プレゼンスと各国による応分の軍事負担の分担が世界秩序で話し合われ、最低限何処かの国だけが独裁的に核開発を推進しようとするアウトロー的トライアルを未然に阻止する様な世界視システムが構築されていくことだろう。
その様な現実の前で既に世界では情報摂取とそれによる世界秩序が全面にどの個人に於いても至上命題化していく。その際に我々人類は既に国家観自体が盲腸的存在理由化していることを覚醒していくだろう(既に若い世代の人達は大半がそうである)。勿論民族や文化自体は消滅し得ない。しかしそれを盛る容器としての国家の体裁は極めてここ十数年の間に変化していくことだろう。多国籍企業とかそういうレヴェルだけの問題ではない。
勿論国土という形では今日本各地で山や田畑などが中国人に買い占められている実状が問題化しているが、当然保全という形で法整備的にも国家は存在し続けよう。しかしにも関わらず、土地所有とか住民の民族構成自体は然程大きくは変更されずにいても、尚世界市民性と個々の個人の生存事実と、その自己主張の方がより国家帰属性よりも肥大化してくという現実は変更され得ないのではないだろうか?
つまりその修正不可能な路線に於いてのみ、国家の在り方、各地方の習俗や名産物保持、或いは軍事的プレゼンスや防衛的ニーズが問われ、それを遊離した形では決して統合や統括、或いは統制ということが不可能化していくということが現代以降の世界の在り方の一大転換点であり、それを第六の転換点と捉えたい、ということが私の今現在の最大の仮説である。
さてここで私なりに一つの仮説を立てみたい。それはこういうことである。
まず人類が人類であることを証明する重要な転換点とは人類が意思疎通し合える言語を保有し始めた事実がある。それを第一の転換点としよう。
するとその次は様々な異論もあろうが、人類が誰しも何時かは死滅するという死に対する自覚を誰しもが抱き、その事実故に内包してしまう死への不安と情緒不安定の解決の為に何らかの宗教倫理性を獲得するということ、人生全体を意義化し得る倫理を携える様になっていった転換点が考えられる。これを第二の転換点としよう。
それと相前後し、どちらが先とは言えないものの、否言語獲得とさえ同時期かも知れない、何らかの形での交易をする様になっていった人類の転換点を第三の転換点と呼ぼう。
実はこのことは商行為や果ては何らかの形で物品に対する代理機能であるところの貨幣経済の移行をも含めてである。私自身の推察と仮説ではかなり古い時期から既に貨幣の代わりとなり得るものの使用はあったと考えた方が、よりその後の歴史を鑑みると理解しやすいと思われるし、又言語行為や宗教倫理性もそういった行いと不可分であると捉える方がより自然ではないだろうか?
さて次に何が起こるかというと、やはりそれは国家という体裁が整ったということではないだろうか?これを第四の転換点と呼ぼう。
実は近年商行為、交易よりも国家の方が後だったという考えが大分定着してきたのでこれを第四の転換点としたい。これはある意味では近代の欧州の王政とは異なっていても、やはりその礎となる様な或る種の絶対権力の形成と考えることは理に敵っているのではないか?つまり何らかの支配層、例えば日本であるなら天皇家の確立とかそれに類することは世界各地であったであろう。
それ以後の転換点ということを考えると、かなり多文化的、多様な展開が人類史上起きたので、実はそれ以前のよく歴史の展開自体が不明であることと違って明白なことも多くなるのでその二つの別種の歴史的展開を心理的に公平に見ることも困難化する。
そこで大きく捉まえると、やはり産業革命による大量生産技術の発明などを第五の転換点とすべきではないだろうか?(尤もグーテンベルグの印刷技術の発明はそれ以前であるし、それも大きなことであるが、それをもここでは網羅して考えていこう)つまりワットやスティヴンソンによる蒸気機関その他、或いはエジソンによる電球の発明など、それ等が人間知性として集積された形でフォードによる自動車の発明、それ以後新聞の発明、ラジオ、テレビの登場、そしてコンピューターの歴史へと移行し、現代へと至るわけだ。
ここで考えるべきはどの転換点が一番重大であったかということではない。つまり重要な捉え方とは、どの転換点もそれなりに何らかの形で人類に於ける根底的な意味での発想とか考え方とか習慣を変えてきたということである。つまり生物学的には恐らくDNAレヴェルでは人類は言語獲得以前とそれ以後ではそう変わりないだろうし、そういった意味では人類という種の発生から今日まで然程の変化は生物学的にはない。
しかしにも関わらずある部分では極めて我々自身の行為に大きな変革を齎したであろうことは、今迄述べてきた全ての転換点では行為としての習慣に大幅な転換を齎したであろうということである。つまり考え方の変化、行為習慣の変化自体が今迄述べてきた転換点を境にがらりと変わることは大いにあり得る。
言語行為のなかった時代からある様になった時代では、既に情報摂取という意味合いから激変がある。つまり無駄な労力が極度に節約出来る。それは今日の様にブログ、ツイッター、フェイスブックなどが登場する時代にまで共通して言えることである。全く知人のいない人と大勢の知人のいる人とでは情報摂取的な意味では大きな差がある。
それと同じくらいに人間の生涯は必ず終わりもある。つまり死というものの自覚のあるかないかでは、大きな違いが生じる。それは生全体の意味、意義をどう捉えるかという発想の転換が必要となる。死を理解出来ない内は或いは言語行為さえ可能ではないという見方も成立し得るが故に、第一の転換点と第二の転換点もほぼ同時期であったという考えもあっておかしくはない。その意味では私が述べたこの転換点の仮説は前後関係自体厳密なものではない。
東浩紀の考える様に現代社会のツイッターなどに皆が参加して誰しもが意見を言える様になってきたこの変化を、かつて一部の人達だけが、つまり端的にエリートとかインテリ達だけが意見をする権利があった時代にあった、要するに確立された意味の世界から、欲望自体が露出した時代、つまり意思疎通欲求自体の方が意味よりも重視される時代、即ち人類の最初の転換点と私が設定した時代精神に立ち戻ったと捉えることも可能である。
しかし現代社会のこの大きな変化はそれ以前的にはやはり新聞、テレビなどが登場したということを基礎にしている。その情報網の確立の上で成立した一つの文明的転換点が現代なのかも知れない。
例えば我々は車のない社会というものを想像し難い。その意味ではフォードが車を発明したばかりの頃の人類は今の様な完全なる車社会の到来を予想し得た人はいただろうが、実際に現代の様になるなどとまでは想像出来なかった人も大勢いた筈だ。
それは映像に関しても言える。例えば最初に工場から人が出て来る姿を映した映画を上映したリュミエール兄弟による蒸気機関車の映像を見た観客は席から立ち上がって逃げ出した(蒸気機関車が迫り来る映像が機関車の前方から撮影されたものだったが故に)。しかし今現在どんな凄い映像を見せられてもそうする者はいない。
それを考えると、我々は行為習慣というものを慣れという形で、記憶に留め、それは端的に一々愕かないということに尽きる。現在パソコンを利用することを便利だと新鮮な感動を味わう人は極めて少ないであろう。それは自動車を見慣れたことと同じである。
と言うことは今現在大半の情報を本だけで得ている人、或いはそれ以外ではテレビに頼り切っている人と、パソコンも多いに活用している人との間で大きなデジタルディヴァイドがある様な意味での個人毎の差は大きくなりつつあるとは言えるだろう。
例えば今は未だツイッターをしていない人、ブログもしていない人もいるだろう。しかし後十数年経てば、恐らく今現在車を生涯で一度も見たことのない人が皆無である様な意味で、既にインターネットだけでなく全てに於いてそういう人自体が消滅しよう。
そして私が想像する数十年後には最早後戻りはしない様になっていくであろう変化とは、国家観というものである。私の想像がもし正しければ、恐らくその転換点が第六の転換点である。それは国家以前の個人という考えの徹底化である。
例えば私達は生まれて直ぐに両親とか育ての親とかそれに類する年長者の行為を観察する。そして次第に言語秩序から意思疎通欲求を発現して意思疎通する様になる。これは発達心理学、現象学その他に於いても既に多く考えられてきた。
しかし次第に公的であるとはどういうことであるかということで、地域社会を皮切りに国家とか民族ということを考えていく様になる。その意味では民族は消滅しないだろう。これは永遠に続行されるに違いない。
しかし国家観はそれとは別箇に極めて大きな変化を来たしていくことだろう。それは別ブログ「トラフィック・モメント」や「Nameless-valueの考えてみたいこと」でもかなり頻繁に論じてきたことなのだが、政府や国家の支配自体がかつての様に万能である様な状態は既に維持しきれなくなってきているということである。
それを象徴化する事件こそが尖閣列島中国漁船衝突事故映像の流出事件であったし、一連のWkikLeaks事件であった。
人間の行為習慣は言語行為が常習化することで、完全自立から協力体制へと移行していった様に、様々なテクノロジーの発明や開発によってがらりと変わる。今東京から大阪まで徒歩で旅する人は、そういう敢えてするトライアル(それは自転車などで日本一周する様な意味で)以外ではあり得ない。従って交通機関が当たり前になって以降の人類は電車を利用するという行為が当然の行為となり、驚きは消滅している。それと同じことはパソコンでも言える。既にアマゾンなどで商品を購入すること自体に我々は愕きを示さなくなった。それは情報摂取でもそうだ。恐らく今の二十代の人達が老人に近づく時代では既に情報摂取の仕方自体が多様化し、今現在のテレビは既に今現在の映画よりももっと後退し、弁士が活躍した時代の無声映画にさえ近くなっていることだろう。
それは要するに今現在のレコードの様な地位になっているだろうということだ。
そしてその変化は恐らく国家観とか経済圏観自体を大幅に変更させるだろう。
勿論先程も述べた様に我々日本民族もその文化習俗も消滅はしない。神社仏閣も古事記日本書紀や、万葉集、古今新古今和歌集などの文学的伝統や花伝書などの能、狂言、歌舞伎、浮世絵といった全ての偉大な日本文化は残存し、長く貴重なものとして捉えられ続けよう。しかしそういった文化的器を今迄は盛ってきた国家観自体は大幅に変更される、否今現在の様な形ではなくなるだろう、ということは想像出来る。
一つには第三の転換点であった交易、商行為の在り方自体が、情報摂取を基軸に展開していくだろうからである。例えばこれ迄(パソコン登場以前)は概ね買い物とは商品を目の前に見てそれを購入していた。しかし今では既に商品自体の情報をパソコンその他で認知しておいて、然る後、安価で情報摂取手段であるパソコンを通して購入する、しかも世界各地から容易に物流システムを利用して行うということが常習化している。
この変化は実は極めて大きなことである。この変化は既に農産物自体が世界各地から全世界へと配送されるシステムの確立によってある程度予想され得ていた。
次第に物流システム自体の前では国境は無化されつつつある(否既に消滅している)。
確かに言語、文化といった面から人類は日本民族には固有の考え方の遺伝子とか神社仏閣に赴いた時にする行為習慣など(初詣などを含めて)変わりなく永続しよう。
しかしそれを盛る容器としての国家観は大幅に変更を余儀なくされる。例えば政府の持つ権限とはそれ自体かつてとは比べものもないくらいに激変してきている。
その一つが私が他のブログ(「トラフィック・モメント」や「Nameless-valueの考えてみたいこと」など)で大きく取り上げてきたマスコミ、マスメディアである。これまでは既にマスコミ、マスメディアが自然と同じくらいに我々の生活に愕きを齎さぬものとして否定的媒体として、或いは批判対象として取り扱ってきた。勿論マスコミ、マスメディア自体は批判され続けるべきものではある。しかしそれは消滅していいものではない。
その意味では話を戻すが、政治自体が既にマスコミ、マスメディアから別箇に独立した権力を保持し得たのは、戦時中の特殊な時代を除いて、新聞とテレビが登場して以降は一度としてなかったと言ってよい。そしてその傾向はここ数年でも益々極まってきている。
一番顕著なことは、小泉政権以降日本でも極めて政治家が多弁、饒舌化してきたということだ。これは総理によるぶら下がり会見などが常習化していったのと期を一にしているのだが、要するにかつての談合主義的な様相は影を掠め、次第に政治行為自体が密室行為から完全に離脱してきたと言うことが出来る。このことは小泉流ワンフレーズポリティックという考え方自体が、小泉竹中経済政策路線の功罪とは別箇に常識化したと言うことが出来る。既に政治家はNHKで放映される国会中継での発言の仕方からその井出達から何から何まで演出を要求されている。これは戦後直後の世界ではあり得なかったことである。
つまり端的に政治、政府、国家が経済、文化活動から何から何まで動かすということ自体が不可能化してきているということを意味する。
政治が国家や国民を動かすということは実は古来より幻想であったとも言える。しかし少なくとも産業革命期から大量生産が可能化して以降、GNP、或いはGDPという形で国家百年の計的な意味合いで論じられてきた様に、ある程度それ相応の政治的支配とか国家統率的論理は最近まで通用した。しかし我々は本論タイトルにある様に、意図的であるか非意図的であるかに関わらず、既にあらゆる世界市民にある程度平等に捧げられている情報自体が人々の生活習慣から何から何までも規定する行為習慣、そして政治や経済まで操作しているということは問うまでもない。情報摂取は既に欲求でも欲求駆動でもない。それ自体が我々の行為を規定する。これは我々が最初の転換点である言語獲得と同じくらいの重みを持っている。既に政治家、とりわけ国会議員はかつての貴族院議員的ステイタスである。
政治は情報と我々自身による情報摂取行為習慣が齎す。そして各地農産物や水産物全体の物流を統括するのも世界気候的情報である。そうなってくると、必然的に国家という形で纏まっていた共同体が地域性と地方の特殊性に対する理解と情報の共有という形に変質してきているので、当然国家という体裁は二の次となっていく。
勿論今でも問題化してきている北朝鮮問題の様に国家観の軋轢は存在し続けよう。しかし例えば軍事的プレゼンス自体も、仮に日本が憲法改正をして自衛隊を自衛軍としても(今現在の政権の仕方では大分遠退いているとは言え)尚、それはかつての様な国家対国家の全面戦争を可能化する様なものではないだろう。
何故ならそういったことをするメリットがどの国家にも見当たらないし、どの為政者にもないからである。だが当然何時の時代にもテロリストもいるだろうし、国家転覆を狙う輩も登場する。従って世界の軍事プレゼンス自体が消滅することはないだろう。しかしにも関わらず恐らく私の想像では徐々に核兵器保有による抑止力行使自体が無意味化していくのではないだろうか?つまり核兵器自体の維持には莫大の負担もかかるし、これ迄にそうであった様な意味で世界環境問題の観点から言ってもデメリットが大きい。従って我々の手によって少しずつそれらの維持の無意味観が立証されるに従って最低限の軍事プレゼンスと各国による応分の軍事負担の分担が世界秩序で話し合われ、最低限何処かの国だけが独裁的に核開発を推進しようとするアウトロー的トライアルを未然に阻止する様な世界視システムが構築されていくことだろう。
その様な現実の前で既に世界では情報摂取とそれによる世界秩序が全面にどの個人に於いても至上命題化していく。その際に我々人類は既に国家観自体が盲腸的存在理由化していることを覚醒していくだろう(既に若い世代の人達は大半がそうである)。勿論民族や文化自体は消滅し得ない。しかしそれを盛る容器としての国家の体裁は極めてここ十数年の間に変化していくことだろう。多国籍企業とかそういうレヴェルだけの問題ではない。
勿論国土という形では今日本各地で山や田畑などが中国人に買い占められている実状が問題化しているが、当然保全という形で法整備的にも国家は存在し続けよう。しかしにも関わらず、土地所有とか住民の民族構成自体は然程大きくは変更されずにいても、尚世界市民性と個々の個人の生存事実と、その自己主張の方がより国家帰属性よりも肥大化してくという現実は変更され得ないのではないだろうか?
つまりその修正不可能な路線に於いてのみ、国家の在り方、各地方の習俗や名産物保持、或いは軍事的プレゼンスや防衛的ニーズが問われ、それを遊離した形では決して統合や統括、或いは統制ということが不可能化していくということが現代以降の世界の在り方の一大転換点であり、それを第六の転換点と捉えたい、ということが私の今現在の最大の仮説である。
Wednesday, October 20, 2010
第十一章 二分法(二項対立)だけではないが完全否定も出来ない
人間の無生命→生命(誕生)、生→死という時間的順序を純粋にどの地点でどう切り替わっていったかを特定することは厳密に言えば不可能であり、さりとてこの両方の二項対立の間を等間隔のグラデーションが存在し、等速度で移行していくなどと誰が信じよう。
その点を考慮に入れると私達は生とはよりクリアに意識している状態であれ、酩酊状態であれ、睡眠時であれ、皆意識の等しいヴァリエーションである(その証拠に夢を見ながらでも我々はそれを夢だと意識することも、夢を見ながら覚醒時に考えていたことの思考の続きをすることさえ可能である)と捉えることが出来る。この段階で意識/無意識という二元論は実在的に(論理的にでなく)論破される。
ここにサルトルが考えていた人間には無意識などないというフロイト批判の反証が立証される。すると何故精神分析で無意識を概念化したかということが問題となるが、脳科学的には脳が働いているか、働いていない(脳死)かを二元論として捉えるなら、生は全て意識、死は無意識と言う方がまだしも実状には近いと言える。
すると言語習得前の幼児が全く言語秩序を理解せぬ内にもそれなりに固有の「あの時の痛み」に対する記憶があり、且つその時点なりに記憶している(成長した後から言えば「いた」)ことになる。
しかし彼(女)は言語習得という大事業の前で言語習得前的「あの時の痛み」を記憶し続けることを放棄し(つまり脳は意識的に忘れる)ようとする。そして彼(女)はそれを多く忘れた。勿論多少は痕跡として残るわけだ。
それを言語習得後の彼(女)は言語習得し自我を目覚めさせた後、その時のことを勝手に「自然に忘れた」と無意識のせいにするのだ。
心を脳と分ければ確かに心は常に対社会的に対外的には対峙しているが故に意識的には「意識的に忘れた」とは思えない。勿論それを勝手に無意識にと言うこと自体を私は批判しているのだ。心を作る脳がそれを命令しているとも言えるし、心が脳を逆らって認識してもそれを咎めだてする術を脳は知らないようだ。
その様に忘れていくことを意識的ではなく自然なものとすることは、脳の立場からすれば当然かも知れない。何故なら全ての瞬間の意志や意識を記憶していけば遥か脳の容量を超えて行ってしまうからだ。
ある部分ではそれは記憶作用自体の命令であるとも言える。それが情動を誘引した結果であり、例えば確かに火傷した時の熱さ、痛さを思い出すことも想像することも可能だが、その身体的記憶それ自体ではないかも知れない。又記憶の痕跡は身体自体でもない。それはあくまで記憶内容と現在に於いて仄かに感じられるものである。
言語習得に戻ろう。
自我に発現によって忘却の全ては自然に忘れた、つまりいつの間にか無意識のせいにされてきた。
従ってもっと遡ってもよいが、胎児にも或いは記憶はあるのではないかということが前章での仮説であった。しかしその時の記憶を彼(女)は母胎の外へと独自の存在として誕生していく時、その外部で出て行く為の意志の優先の下で、胎児時の記憶を意志的に忘却しているともしここで私が言ったとしても、それを否定することは出来ないのではないか?
意志的に忘却(記憶し続けることを止める)していたのに、その脳内選択は明らかに言語的思考と思惟の習慣を獲得した後にはすっかり意識的でも意志的なものとも感じられなくなる。勿論それは生まれてきた瞬間外界の全てが目新しく感じられるから、当然その段階でも胎児時の記憶の大半はうやむやになっていってしまうだろう。
既に生まれてきた赤ん坊は胎児時の記憶など意識して思い出すことは出来ない。だからそこで無意識になら夢などで登場することもあるのかも知れない、ということに於いてフロイトの説はある輝きを失わない様に思える。
しかし残存した胎児時の痕跡はやはり現存しつつ、その後の多くの経験によって変質してくことはあり得るし、変容を来たし、元もままということはない。そしてその元もままではあり得なさはずっと続くわけだ。
薄ぼんやりとなら今でも我々は夢に得体の知れぬ光景を見ることはあるし、そういう体験は幼い頃からずっとあった。そして当然のことながら赤ん坊の時の記憶をそのままの形で残しているということもまた不可能だろう。
ある瞬間それでも言語習得期以前の記憶が蘇ることもあり得ないことではない。無意識という語彙でなく深層意識に痕跡として残されているとしたら、それは赤ん坊の時に心が共鳴したこと自体の記憶、つまり体験的な痕跡であろう。
それらは僅かに沈殿するかの様に張りついているのかも知れない。
脳全体も新陳代謝するわけだから、それは微かな痕跡である。
意識の上では否定しているのに脳では受け入れている様な場合、真意、感情を抑制している(であるが故に制度的な責務に追随し否定している場合、それを私は責務偽装と呼ぶのだが)とか、逆に脳では否定しているのに外部的圧力に屈し致し方なく受け入れている(それを逸脱恐怖偽装と言ってもいいかも知れない)様な場合もフロイトが考えた検閲とか抑制といった概念は今でも有効性を持っている。
只私は無意識という概念の不十分性を語ってきただけだ。
我々は生と死に於いて如何に世にある多くの二分法、或いは二項対立を単純であると批判しても、生と死の中間などやはりあり得ないとすれば、生きている個体が死亡する時、等距離で等間隔、等速度で生から死へ移行するとはやはり考えられない。
すると移行過程には断続平衡的なイヴェントがあったと捉えてもいいのではないか?
そして意識が生の証拠であるとすれば、脳によって作られる意志は意識そのものであり、言葉によって示される意志はほんのその僅かな部分でしかない。しかし同時にそのほんの僅かな部分を肥大化させるのが社会意識であるわけだ。
従って偽装や虚言もそれ自体、対外的に示す脳内意志であり、「そういうもの」としての真意であり感情なのであり、嘘も同様である。つまり嘘をつく者の嘘の背後の真意なのではなく、真意とは別の真意を知られまいとする為の嘘をつく真意(嘘をついている時は隠すべき真意は寧ろ忘れられている場合も多いのではないか?)と言い換えるべきなのである。
従ってある部分では厳然と二分法は有効であるのに、ある部分では常にそれを無効化する見方も同時に出現し得るということだ。このことで重要なことは生という一元論で死を考えるkか、生と死を対立的に二元論として考えるかという命題が極めて倫理的なことである、ということだけは炙り出されていく気がするのである。
その点を考慮に入れると私達は生とはよりクリアに意識している状態であれ、酩酊状態であれ、睡眠時であれ、皆意識の等しいヴァリエーションである(その証拠に夢を見ながらでも我々はそれを夢だと意識することも、夢を見ながら覚醒時に考えていたことの思考の続きをすることさえ可能である)と捉えることが出来る。この段階で意識/無意識という二元論は実在的に(論理的にでなく)論破される。
ここにサルトルが考えていた人間には無意識などないというフロイト批判の反証が立証される。すると何故精神分析で無意識を概念化したかということが問題となるが、脳科学的には脳が働いているか、働いていない(脳死)かを二元論として捉えるなら、生は全て意識、死は無意識と言う方がまだしも実状には近いと言える。
すると言語習得前の幼児が全く言語秩序を理解せぬ内にもそれなりに固有の「あの時の痛み」に対する記憶があり、且つその時点なりに記憶している(成長した後から言えば「いた」)ことになる。
しかし彼(女)は言語習得という大事業の前で言語習得前的「あの時の痛み」を記憶し続けることを放棄し(つまり脳は意識的に忘れる)ようとする。そして彼(女)はそれを多く忘れた。勿論多少は痕跡として残るわけだ。
それを言語習得後の彼(女)は言語習得し自我を目覚めさせた後、その時のことを勝手に「自然に忘れた」と無意識のせいにするのだ。
心を脳と分ければ確かに心は常に対社会的に対外的には対峙しているが故に意識的には「意識的に忘れた」とは思えない。勿論それを勝手に無意識にと言うこと自体を私は批判しているのだ。心を作る脳がそれを命令しているとも言えるし、心が脳を逆らって認識してもそれを咎めだてする術を脳は知らないようだ。
その様に忘れていくことを意識的ではなく自然なものとすることは、脳の立場からすれば当然かも知れない。何故なら全ての瞬間の意志や意識を記憶していけば遥か脳の容量を超えて行ってしまうからだ。
ある部分ではそれは記憶作用自体の命令であるとも言える。それが情動を誘引した結果であり、例えば確かに火傷した時の熱さ、痛さを思い出すことも想像することも可能だが、その身体的記憶それ自体ではないかも知れない。又記憶の痕跡は身体自体でもない。それはあくまで記憶内容と現在に於いて仄かに感じられるものである。
言語習得に戻ろう。
自我に発現によって忘却の全ては自然に忘れた、つまりいつの間にか無意識のせいにされてきた。
従ってもっと遡ってもよいが、胎児にも或いは記憶はあるのではないかということが前章での仮説であった。しかしその時の記憶を彼(女)は母胎の外へと独自の存在として誕生していく時、その外部で出て行く為の意志の優先の下で、胎児時の記憶を意志的に忘却しているともしここで私が言ったとしても、それを否定することは出来ないのではないか?
意志的に忘却(記憶し続けることを止める)していたのに、その脳内選択は明らかに言語的思考と思惟の習慣を獲得した後にはすっかり意識的でも意志的なものとも感じられなくなる。勿論それは生まれてきた瞬間外界の全てが目新しく感じられるから、当然その段階でも胎児時の記憶の大半はうやむやになっていってしまうだろう。
既に生まれてきた赤ん坊は胎児時の記憶など意識して思い出すことは出来ない。だからそこで無意識になら夢などで登場することもあるのかも知れない、ということに於いてフロイトの説はある輝きを失わない様に思える。
しかし残存した胎児時の痕跡はやはり現存しつつ、その後の多くの経験によって変質してくことはあり得るし、変容を来たし、元もままということはない。そしてその元もままではあり得なさはずっと続くわけだ。
薄ぼんやりとなら今でも我々は夢に得体の知れぬ光景を見ることはあるし、そういう体験は幼い頃からずっとあった。そして当然のことながら赤ん坊の時の記憶をそのままの形で残しているということもまた不可能だろう。
ある瞬間それでも言語習得期以前の記憶が蘇ることもあり得ないことではない。無意識という語彙でなく深層意識に痕跡として残されているとしたら、それは赤ん坊の時に心が共鳴したこと自体の記憶、つまり体験的な痕跡であろう。
それらは僅かに沈殿するかの様に張りついているのかも知れない。
脳全体も新陳代謝するわけだから、それは微かな痕跡である。
意識の上では否定しているのに脳では受け入れている様な場合、真意、感情を抑制している(であるが故に制度的な責務に追随し否定している場合、それを私は責務偽装と呼ぶのだが)とか、逆に脳では否定しているのに外部的圧力に屈し致し方なく受け入れている(それを逸脱恐怖偽装と言ってもいいかも知れない)様な場合もフロイトが考えた検閲とか抑制といった概念は今でも有効性を持っている。
只私は無意識という概念の不十分性を語ってきただけだ。
我々は生と死に於いて如何に世にある多くの二分法、或いは二項対立を単純であると批判しても、生と死の中間などやはりあり得ないとすれば、生きている個体が死亡する時、等距離で等間隔、等速度で生から死へ移行するとはやはり考えられない。
すると移行過程には断続平衡的なイヴェントがあったと捉えてもいいのではないか?
そして意識が生の証拠であるとすれば、脳によって作られる意志は意識そのものであり、言葉によって示される意志はほんのその僅かな部分でしかない。しかし同時にそのほんの僅かな部分を肥大化させるのが社会意識であるわけだ。
従って偽装や虚言もそれ自体、対外的に示す脳内意志であり、「そういうもの」としての真意であり感情なのであり、嘘も同様である。つまり嘘をつく者の嘘の背後の真意なのではなく、真意とは別の真意を知られまいとする為の嘘をつく真意(嘘をついている時は隠すべき真意は寧ろ忘れられている場合も多いのではないか?)と言い換えるべきなのである。
従ってある部分では厳然と二分法は有効であるのに、ある部分では常にそれを無効化する見方も同時に出現し得るということだ。このことで重要なことは生という一元論で死を考えるkか、生と死を対立的に二元論として考えるかという命題が極めて倫理的なことである、ということだけは炙り出されていく気がするのである。
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